赤坂日枝神社
赤坂日枝神社は、東京都千代田区永田町の、東京メトロ千代田線赤坂駅、または東京メトロ銀座線・南北線の溜池山王駅より徒歩3分の地に位置する鎮守社。
江戸城の鎮護として、また幕府・徳川将軍家の産土神として、江戸総鎮守・神田明神と共に江戸の代表的な神社。
鎌倉中~末期に、当地の豪族・江戸氏が、川越市の上戸日枝神社を勧請して創建されたと推測される。文明10年(1478年)には、太田道灌が江戸城築城に際して、その鎮護神として川越の仙波日枝神社を勧請。
徳川家康の江戸入府後、江戸城内で梅林坂から紅葉山に遷座し(時期は不明)、更に慶長9-12年(1604-07年)頃に城外の隼町に遷座(「元山王」は現在の国立劇場付近)。万治2年(1659年)、江戸城の裏鬼門に当たる現在地へと遷座した。
江戸時代は(日吉)山王権現、山王宮などと呼ばれたが、明治元年に日枝神社と改称。
明治初期に一時的に准勅祭社の制が定められた際には、その12社のうちの1社となった(うち都区部内に鎮座する10社は、現在は東京十社を名乗っている)。その後においても、皇居(皇城・宮城)の鎮護ゆえ官幣中社に、更に大正天皇の即位時には天皇が氏子域で生誕したゆえに官幣大社に列した。東京で官幣大社に列したのは他には明治神宮だけである。また戦後は神社本庁の別表神社となっている。
当社には山王鳥居が3基もある(山車や神輿に付属する物を除く)。山王鳥居は山王権現(日吉社・日枝社)に特有の鳥居で、それほど多くない(東京都内では10数基程度)。
RC造の神門及び廻廊は昭和37年建立。
神門の表側には通常の随神が、裏側には神猿の像が収まる(猿は日枝神の神使)。
RC造の社殿は外拝殿、内拝殿、祝詞殿(幣殿)、本殿を連結した権現造で、昭和29年竣功。
拝殿の前には、一対の狛猿が配されている。
当社で唯一の近世建築である山王稲荷神社社殿は1659年頃の建立。千代田区指定有形文化財。
当地に日枝神社が遷座する前、まだ福知山藩主松平家の屋敷であった頃の邸内社で、日枝神社の地主神。
八坂神社・猿田彦神社は昭和41年竣功。
猿田彦神社は万治2年(1659年)に日枝神社が遷座してきた時の創建で、明治初期に庚申社より改称。
八坂神社は元は京橋南伝馬町の氏神であったのを明治19年に合祀。
RC造の御文庫は、昭和7年に祭器庫として竣功。戦前の建築は、この御文庫と山王稲荷神社社殿だけである。
日枝神社の主な年中行事
節分祭
赤坂日枝神社の節分には多くの人出がある。この行事に関する詳細は「赤坂日枝神社 節分祭」の記事を参照。
山王祭
山王祭は、6月中旬に開催される、日枝神社の例大祭。江戸時代は、神田明神の神田祭とともに、天下祭(幕府が費用を負担し、祭礼行列が江戸城内に入り、将軍の上覧があった祭礼)であった。隔年で壮麗な神幸祭や、大規模な町神輿の連合渡御が催される。この行事に関する詳細は「赤坂日枝神社 山王祭」の記事を参照。
<日本橋日枝神社
赤坂日枝神社の御旅所が日本橋茅場町にあり、現在、境外摂社の日本橋日枝神社となっている。
山王祭で隔年開催される神幸祭においては、行列が当地に立ち寄り、神事が行われる。
当社から移築された建築物
杉並区の本天沼稲荷神社には、明治元年、赤坂日枝神社の内殿が、本殿として移築された。現在は内殿となって本殿内にあり通常は非公開だが、10月上旬の例大祭などの際には拝殿内の扉が開かれ、拝見できる。
また、茨城県稲敷市の逢善寺には、明治2年に当社から移築した江戸初期建造の仁王門が現存する。なお、その仁王像は、杉並区堀ノ内の堀之内妙法寺に明治元年に移され現存する。