堀之内妙法寺
堀之内妙法寺は、東京都杉並区の、東京メトロ丸ノ内線の新高円寺駅より南東へ徒歩11分、または東高円寺駅より南西へ徒歩13分の地に位する日蓮宗の名刹。山号は日円山。
日蓮宗の由緒寺院で49本山の1つ(日蓮・法華宗諸派のうち教団「日蓮宗」には、総本山久遠寺の下に、七大本山と49本山があり、あわせて57本山とも称する)。
元は真言宗の尼寺であったが、江戸初期の元和年間(1615-1623年)に日蓮宗に改宗し妙法寺と号した。当時は日蓮宗の大刹であった碑文谷法華寺(現在の目黒区の天台宗円融寺)にあった祖師像(日蓮像)を譲り受け、厄除けのご利益があるとして信仰を集めた。第二次大戦の戦禍を免れた、東京都区部では数少ない、江戸時代の建物がまとまって残る大寺。
仁王門(山門)は江戸中期の1787年建立で東京都指定有形文化財。
門には明治元年に赤坂日枝神社より移された1659年製作の仁王像が収まる。
門番小屋は明治11年竣工。かつてこの位置には長屋門があったが、鉄門(後に大玄関前に移築)を作る際に取り壊された。
祖師堂は除厄け祖師像(日蓮像)を祀る、豪壮な堂。江戸後期の1812年建立で東京都指定有形文化財。
祖師堂の屋根の左右後三方の破風には鬼が睨みを効かせ、堂を守護している。そのため、堀之内妙法寺では節分の豆まきでも「鬼は外」とは言わない。
鉄門は明治11年建立。明治期の日本で活躍したジョサイア・コンドルの設計で国指定重要文化財。
門柱の上に立つ童子は洋風の姿で、東が女性で西が男性。
当初は仁王門の東側に通用門として建てられた(現在も門番小屋が残る)が、後に大玄関の前に移築された。
手水舎は1853年建立と推定されている。
鐘楼は1821年建立。
額堂・鼓楼は江戸後期の1814年建立。鼓楼のある寺院は関東では珍しい。
額堂内には大型の絵馬が多く架かる。中には鏝絵の絵馬もある。
額堂内には竈も置かれている。1785年奉納。
本堂(三軌堂)は江戸後期の1819年建立。ここも日蓮像が正面に奉安されている。
本堂の裏、朝師堂の手前には、幕末から明治初期頃に竣工した手水舎がある。その手水舎の手水鉢もなかなか良いデザイン。
日朝堂は江戸後期の1828年建立。総本山久遠寺を中興した高僧日朝上人(1422-1500年)を祀る。眼病を患ったが信仰で回復したというので眼病のご利益をうたっている。
二十三夜堂は二十三夜大月天王を祀る。明治11年建立の石蔵造り。
その右側にあるのは浄行堂で、江戸初期の17世紀中頃に手水舎として建造されたものを転用。
書院の御成の間(1814-1817年竣工)は東京都指定有形文化財。大玄関や総受付の背後にあるが、駐車場から柵越しに覗える。妙法寺は徳川将軍や御三卿の御膳所であり、この建物は将軍家斉の御座所として建造され、以後は将軍や御三卿が利用した。
墓地門はもともとは釣瓶井戸の上屋だったものが、後に手水舎に転用され、更に墓地門に改造されたもの。奥には墓地のほか菖蒲田がある。
祖師堂背後の庭園に置かれている五重石塔は幕末の1860年建造。
祖師堂背後の庭園の隅には洋風の台座もある。ギリシャ風の唐草文様も刻まれている。背後の銘は風化し、かろうじて大正10年のものだとはわかったが、その他の事は読み取れなかった(『妙法寺文化財総合調査』でも言及無し)。
洋風の街灯は明治37年の建立。古代ギリシャのイオニア式風。
年中行事
初詣
当寺は仏教寺院ながら初詣客を多く集める所の一つで、露天商も多少出店する。またイベントも催される。
菖蒲田
墓地門を潜ると、アジサイ参道の奥に菖蒲田があり、6月頃には見頃となる。
お会式
堀之内妙法寺のお会式は毎年10月13日で、その万灯練供養の規模は比較的大きい。この行事に関する詳細は「堀之内妙法寺 お会式」の記事を参照。
近くには宗延寺がある。