赤坂日枝神社は、東京都千代田区永田町の、東京メトロ銀座線・南北線溜池山王駅より徒歩3分の地に位置する鎮守社。当社についての詳細は赤坂日枝神社の記事を参照。
山王祭は赤坂日枝神社の例大祭で、隔年で壮麗な祭礼行列が催される。
赤坂日枝神社 山王祭
山王祭は、6月中旬に開催される、赤坂日枝神社の例大祭。
江戸時代は神田明神の神田祭とともに、天下祭(幕府が費用を負担し、祭礼行列が江戸城内に入り、将軍の上覧があった祭礼)であった。なお、当初は天下祭は山王祭のみであり、神田祭は後に加わった。
日枝神社では山王祭を、京都祗園祭および大阪天神祭と共に日本三大祭の一つであり、かつ神田明神の神田祭および富岡八幡宮の深川八幡祭とともに江戸三大祭であるとしている(ただし、江戸三大祭の組み合わせには、根津神社の例大祭や浅草神社の三社祭が入るなど幾つかの組み合わせパターンがあり、なかには山王祭が入らない組み合わせもある)。
山王祭の本祭は、江戸時代以来、神田祭と交互に(つまり隔年で)行われる。
本祭の年(西暦偶数年)においては壮麗な祭礼行列を伴う神幸祭や氏子の大規模な神輿連合渡御などが催されるが、これらは陰祭の年(西暦奇数年)には行われない。
神幸祭(本祭の年のみ)
本祭の年のメインイベントである神幸祭では、鳳輦2基と宮神輿1基を中心とする総勢500人・300mの大祭礼行列が、早朝から夕刻まで一日かけて氏子地域を巡行する。氏子地域は、大手町・神田地区を除く千代田区と、中央区のうち日本橋川より南側の計72ヶ町(港区内や新宿区内にも若干氏子地域あり)。
獅子頭は家光寄進の「上下座の獅子頭」。
一之宮鳳輦は、主祭神・大山咋神1柱の神霊を運ぶので、四面に掛けてある鏡は各1面のみ。
二之宮鳳輦は、本殿に相殿として祀る3柱の神(伊弉冉神・国常立神・足仲彦尊)の神霊を運ぶので、四面に鏡が各3面ある。
三之宮(山王宮神輿)は大正11年製作。主祭神・大山咋神の荒御魂を運ぶ。
猿(日枝神社の神使)の人形は江戸末期の作。本来は烏帽子を被っているのだが巡行中によく外れていた。
国立劇場の地は、赤坂日枝神社が江戸城を出て最初に鎮座した地で、「元山王」とも呼ばれる。ここでは駐輦祭が執り行われる。
なお、駐輦祭は皇居の坂下門前でも執り行われる。
上町連合宮入(本祭の年のみ)
赤坂日枝神社の氏子は72ヶ町で、神幸祭とは別の日に、氏子町会の神輿および山車が、上町と下町で別個に連合渡御を行う。
上町(西側の千代田区にある氏子町会)の連合宮入では、土曜日の夕刻、山車3基と各町の町会神輿が赤坂見附近くの清水谷公園を出発し、赤坂日枝神社に渡御する。
神幸祭にも参加していた東郷元帥山車(そのときは獅子頭ではなく太鼓を乗せていた)。
牛若弁慶山車も神幸祭にも参加していたが、一部区間だけか。
九段四丁目町会神輿は、山王鳥居4基が付属する非常に珍しい神輿。
下町連合渡御(本祭の年のみ)
下町(東側の中央区にある氏子町会)の連合渡御では、前半は日曜日の朝に神輿7基が日本橋日枝神社を発して南下し、八丁堀で神輿が4基合流。
後半は、正午から神輿15基が、京橋から日本橋まで大通りを北上し、日本橋で神田明神の氏子の出迎えを受ける。
前半は南下するので順光となり、また道が狭いので行列の密度も濃くなる。後半は行列が少し豪華となる反面、北上するので逆光となり、また道が広いので神輿のまとまりが悪くなる。
毎年行われる行事
以下の行事は、本祭・陰祭に関わらず毎年行われる。
例祭
山王祭は、日枝神社の広義の例(大)祭であり、その祭祀面での最重要行事は15日に催されるこの狭義の例(大)祭である。
式典中の正午頃、拝殿前で和太鼓が打ち鳴らされる。
稚児行列
民謡大会
夕刻からは連日、山王音頭による民謡大会(盆踊り)が行われる。
その他
露天商の露店は毎年出店があるが、陰祭の年は本祭の年より出店数が少ない。
神幸祭の沿革
山王祭の神幸祭が初めて史料に見えるのは元和2年(1616年)で、寛永12年(1635年)の3代将軍家光の上覧以来、将軍の上覧が恒例となった。
江戸時代は氏子は山車で祭礼行列に参加したが、明治に入って電線が張り巡らされると、神輿が中心となっていった。
昭和12年から戦況の激化で中断したが、戦後の昭和27年から再開された。