玉敷神社
玉敷(たましき)神社は、埼玉県加須市の、東武伊勢崎線の加須駅より南西へ車7分の地に位置する鎮守社。
旧埼玉郡の総鎮守で、騎西領48ヶ村の氏神。戦前の社格は県社。
元荒川の東側流域に約100社分布する久伊豆社の総本社格。
成務天皇6年(西暦13年)または大宝3年(703年)の創建と伝え、二度の遷座を経て現在地に鎮座した(当社の沿革は後述)。
主祭神は大己貴命。
また神苑には県天然記念物の藤があり、開花時期には「騎西藤まつり」が催される。
手前の手水舎は江戸後期の1805年建立。
拝殿は明治31年修築。
本殿および幣殿は1817年建立。
神楽殿は1836年建立。加須市指定有形文化財。
本殿を囲むように、八坂社、厳島社、松尾社、秋葉社、宮目神社、白山神社、稲荷神社、琴平社、神馬舎の祠が並ぶ。
このほか、参道沿いには天神社の祠がある。
うち、摂社なのは宮目神社。
当地に玉敷神社が遷座してくる前から、既に在った地主神。
公式HPでは神馬舎だが、現地の札には神馬社とある。中には神馬の木像が安置されている。
樹齢約500年のイチョウ2本が、市の天然記念物に指定されている。
表参道沿いに、社家であった河野家の門が残されている。
門内は、玉敷公園の一部として整備されている(建物等は残っていない)。
神苑
神苑は大正13年造成で、現在は玉敷公園として市が管理する。
埼玉県指定天然記念物の藤を含め、大規模な藤棚が3ヶ所あり、4月下旬~5月初旬には騎西藤まつりが催される。
詳細については「玉敷神社のフジ」の記事を参照。
池周辺は、神社の神苑らしき雰囲気を残している。
当社の沿革
当社は、成務天皇6年(西暦13年)に武蔵国造・兄多毛比命が出雲大社を勧請して創建したとも、大宝3年(703年)に東山道鎮撫使・多治比真人三宅麿が創建したとも伝える。
社伝では当初は正能(加須市正能)に在ったが、上杉謙信と北条氏の戦で焼失して根古屋に遷座し、更に寛永4年(1627年)頃に現在地へと遷座した。
なお、『新編武蔵風土記稿』では根古屋→正能→現在地の順となっている。
正能での位置は、小字「古宮」が旧地(龍花院墓地の西側で、「古宮公園」の名などに残る)。
また根古屋での位置は、現・前玉神社の境内。
前玉神社
前玉(さきたま)神社は、玉敷城跡の、玉敷神社の旧地に鎮座する鎮守社。
主祭神は前玉姫命。
境内は玉敷神社の旧地だが、前玉神社が玉敷神社の遷座後に祀られたのか、それ以前から鎮座するのかは不明。古くは玉敷神社と同様、久伊豆社と称した。
「前玉神社」の名は、玉敷神社の前の社であることに由来すると伝える。