岩槻城跡
岩槻城跡は、埼玉県さいたま市の岩槻にあった平城。沼地に曲輪が島々のように配置された、広大な城郭であった。
長禄元年(1457年)、太田道真・道灌が築城(成田氏による築城説もある)。戦国時代は太田氏、次いで北条氏の城となり、北条氏の滅亡後は、関東に入った徳川家の臣下が入った。以後、藩主家の交代は多かったが、江戸中期の大岡氏よりは廃藩置県まで同氏の居城となり、藩庁が置かれた。
現在、本丸などがあった主郭部は完全に市街地化して面影は残っていないが、南端にあった新曲輪と鍛冶曲輪の跡が岩槻城址公園として整備され、土塁や空堀を見ることができる。そのほか、愛宕神社には大構の土塁が残る。
沼地の中央に配置されている曲輪群が主郭部、その奥の対岸が岩槻城址公園として現在残されている曲輪。
岩槻城址公園
岩槻城址公園は東武野田線の岩槻駅より北東へ徒歩21分の地にある、岩槻城南端の新曲輪・鍛冶曲輪の跡を整備した公園。ここは戦国末期に後北条氏によって築かれた出丸で、土塁、空堀、馬出などが残る。埼玉県指定史跡。
黒門は旧城門の一つだが、城内での旧所在地は不明。廃城後は城外で移築を繰り返し、現在地へは昭和45年に移築。さいたま市指定有形文化財。
裏門も旧城門の一つ。裏門と伝えるが、城内での旧所在地は不明。江戸後期の1770年に修造した記録が残る。廃城後は城外に移されたが、現在地へ昭和55年に移築された。さいたま市指定有形文化財。
岩槻城は、関東の城に良く見られる、元々石垣の無い城郭であった。
この公園の元となった新曲輪・鍛冶曲輪は城の南端にあり、一方で城の北端には岩槻城及び城下の総鎮守久伊豆神社 の鎮座する新正寺曲輪があり、その間にあった広大な沼地に、主郭部の曲輪が島のように配置されていた。主郭部は現在、完全に市街地化している。
岩槻愛宕神社
岩槻愛宕神社の境内には大構(おおがまえ)の土塁が残る。大構は天正年間(1573-1593年)頃に築かれた、岩槻城とその城下町を囲んだ8kmもの土塁と堀であったが、廃城後にほぼ失われ、現在は愛宕神社に残るのみ。さいたま市指定史跡。
時の鐘
「時の鐘」は岩槻城の鐘で、1671年に岩槻城主阿部正春が鋳造し、渋江口に鐘楼が建てられて城内・城下に時を知らせた。現在の鐘は1720年に改鋳したもので、市の文化財に指定されている。