石浜神社
石浜神社は、東京都荒川区の、南千住駅(JR常磐線・東京メトロ日比谷線・つくばエクスプレス)より南東へ徒歩15分の地に位置する、石浜庄の総鎮守。
奈良時代の神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願で創建。江戸時代は朝日神明宮、橋場神明社、石浜神明社、石浜朝日神明宮などと呼ばれたが、明治5年に石浜神明宮と改め、更に明治後期に現在名となった。
昭和29年に東京ガスと敷地を交換して遷座し、更に昭和63年に再開発で現在地に遷座。
鎮座地は荒川区内だが、台東区との境界に近く、氏子地域は荒川区の南千住南部(旧・橋場町百姓地)と台東区の橋場(橋場町)にまたがる。
境内は中世の石浜城跡(室町中期~天正年間にあった、戦国大名千葉氏の支城)の有力候補地の一つ。
当社は少し変則的な鳥居(笠木の断面がカマボコ型の神明鳥居)がある事で知られる。
第一鳥居は1780年建立。荒川区登録有形文化財。
笠木(一番上の横棒)の断面がカマボコ型の靖国鳥居で、非常に珍しい(おそらく全国でも当社のみ)で、石浜鳥居と俗称される。
1749年建立の第二鳥居も荒川区登録有形文化財。
第一鳥居と同じく、笠木の断面がカマボコ型の石浜鳥居である。またそれだけでなく、神明鳥居系の鳥居には珍しい額束もある(ただしこの点は「多少珍しい」程度)。
拝殿は昭和63年建立。
拝殿内には数枚の絵馬が架かるが、特に正面のものは六角形の変わった形をしている。
社殿は神明造の本殿・幣殿・拝殿を連結した権現造。
本殿は昭和12年建立。荒川区登録有形文化財。設計は、戦前の著名な建築家である伊東忠太。
摂社・麁香(あらか)神社は安永8年(1779年)創建。祭神は手置帆負命・彦狭知命で、大工など工匠の神。
社殿は江戸末期に建立。妙義八幡神社の旧社殿。荒川区登録有形文化財。
末社・真崎(真先、まっさき)稲荷神社は、建久年間(1190-99年)に千葉兼胤が武運に加護のあった宝珠を真先明神と崇め、天文年間(1532-55年)に石浜城主であった孫の守胤が真先稲荷の社殿を造営。江戸中期から真崎稲荷と通称された。大正15年に石浜神社に合祀。
左端は摂社・江戸神社。他は末社で左から北野神社、妙義八幡神社、寿老神。右端の像は宝得大黒天。
江戸神社は天文年間(1532-54年)の勧請で、当初は江戸神社と称し橋場村の鎮守であった。後に牛頭天王社→八雲神社→八雲疱瘡神社と変遷したが、近年、旧称に復した。
富士遥拝所は宝暦8年(1758年)創建。現在の塚は比較的新しい。富士塚のように富士山の溶岩で築造されているが、構造的に登拝は不可。
富士遥拝所の前にある鳥居も、額束のある、笠木がカマボコ型の石浜鳥居。
招来(おいで)稲荷神社は真崎稲荷の奥宮。江戸期は真先稲荷は一橋徳川家の祈願所で、庶民は参詣できず奥宮を参拝した。
神社には珍しい墓地(神式霊園)も経営している。
例大祭
当社の例大祭は5月下旬に執り行われる。隔年開催の本祭では、宮神輿が渡御する。この行事についての詳細は「石浜神社 例大祭」の記事を参照。
神輿の石浜鳥居
当社の特徴とも言える石浜鳥居は神輿にも付されている。宮神輿のほか町神輿にもあり、橋場二丁目町会の大・中・小の神輿、および橋場一丁目町会の神輿に、石浜鳥居が各4基(計20基)ある。