浜離宮恩賜庭園
浜離宮恩賜庭園は、東京都中央区の、都営大江戸線の汐留駅より徒歩7分の地にある、国の特別名勝かつ特別史跡の回遊式潮入庭園(潮の干満による景観の変化を楽しむ庭園)。
甲府藩主徳川綱重の下屋敷(海手屋敷)として海辺を埋立てて造成され、その子の徳川家宣が6代将軍になって以降は、将軍家別邸の浜御殿となった。維新後は皇室の離宮となったが、戦後に東京都へ下賜され公開されるようになった。
江戸城の出城的性格も有し、江戸城とは水路で繋がれ(江戸時代の水濠や水路に関しては江戸城(6)を参照)、大手門や中ノ御門といった枡形門が整備され、ペリー来航後は護岸に砲台も設置された。
大手門は関東大震災で焼失し現在は石垣のみ残るが、かつては江戸城にあったような枡形門であった。被災前の大手門の模型が、園内の休憩所に展示されている。
三百年の松は6代将軍徳川家宣(在位1709-1712年)の時代に植えられた。
内堀は関西から海路で運んだ物資を、江戸城へ運びこむ際の中継施設として使用された。現在、内堀広場やお花畑となっている所には籾倉があった。
旧稲生神社は明治28年築。芳梅亭と共に戦前から残る建築物。本殿内に収められている宮殿は江戸後期のもの(非公開)。魂抜きをしてあるので「旧」が付いている。
延遼館(明治2年に建てられた迎賓館)跡は、現在は芝生となっている。
芳梅亭は、明治期に建造された宮内省職員の宿舎を集会所に転用したもの。
可美真手命像は、明治天皇の銀婚式を記念して軍から明治27年に寄贈されたもの。
可美真手命は、初代神武天皇の代に功のあったという伝説上の人物で、物部氏の祖である。
中の御門跡は関東大震災で被災し、枡形の敷地は残るものの、石垣は撤去された。
新銭座鴨場は1791年に築造。土手に隠れて細い堀に鴨をエサでおびき寄せ、網で捕獲した。
庚申堂鴨場は1778年に築造。
中の島へと続くお伝い橋は、北側から中の島へ向かう橋の一部が藤棚の下になっているが、かつては全体が藤棚の下にあった。
途中、小さな島を3島経るが、この3島で「小」の字となっているので「小の字島」と呼ぶ。
お伝い橋によって結ばれた中島には「中島の御茶屋」がある。将軍の御座所として1710年に建造され、第二次世界大戦で戦災焼失し、1983年に復元された。
燕の御茶屋は2015年復元。11代将軍徳川家斉(在位1787-1837年)の時代に建てられたが、第二次世界大戦で戦災焼失していた。
松の御茶屋は2010年復元。松の御茶屋も、11代将軍徳川家斉の時代に建てられたが、第二次世界大戦で戦災焼失していた。
鷹狩りで利用された鷹の御茶屋は2018年復元。鷹の御茶屋は1795年頃に建てられたが、第二次世界大戦で戦災焼失していた。将軍用の上段や、鷹を休ませるための鷹部屋がある。
浜離宮は海に面しており、徳川将軍が上陸した「将軍お上り場」の石段も残されている。
梅林や花木園には梅が植えられている。
お花畑は2~3月頃の菜の花や7~9月頃のキバナコスモスで知られる。
同じく大名庭園であった旧芝離宮恩賜庭園も近い。