江戸城シリーズ第6回では、残されている外濠及び城門の名残や、城外に移築された建物を紹介。
- 第1回:江戸城の概要
- 第2回:皇居外苑、和田倉噴水公園
- 第3回:皇居東御苑
- 第4回:皇居宮殿、乾通り
- 第5回:北の丸公園
- 第6回:外濠、移築建築(この項)
江戸城の外濠は、地図の赤線で示しているように、一部を除き、ほぼ現在の外堀通沿いであった(紫線は内壕)。外濠は江戸時代初期の1636年に完成し、その約14kmのうち4kmが現在国指定史跡となっている。
外濠のうち、日本橋川の一石橋から、神田川を経て飯田橋から赤坂見附に至るまでの部分は、断続的ながら残っている。日本橋川は後に神田川と呼ばれる川の本来の川筋である。現・神田川の日本橋川との分岐点より西の部分(地図の黒線)は近世に開削された川筋で、しばしば外濠に含めて考えられる。
外濠(日本橋川・一石橋~飯田橋)
一石橋より西側の日本橋川は外濠の一部。本来の神田川の川筋はこの日本橋川で、江戸時代に現・神田川の川筋が開削された後、日本橋川は神田川から分離されたが、明治に再び接続された。
外濠は日本橋川から現・一石橋で分離・南下して東京駅東側の現・外堀通を走っていたが、戦後に埋め立てられ、呉服橋、鍛冶橋、数寄屋橋などの地名のみに残る。
日本橋川(外濠部分)沿いの常盤橋門跡には石垣が残る。常盤橋門は大手前曲輪跡(現在は千代田区大手町)にあり、江戸城外郭の正門であった。現在、常盤橋門の門前に架かるのは明治10年架橋の石橋である常磐橋で、その南東に常盤橋という橋が架かる。現・常磐橋の当初の名は「常盤橋」だったが、石橋なので「常"磐"橋」となった。
日本橋川の、錦橋~一橋の間と一橋~雉子橋の間に石垣が残る。この間の外濠には一ツ橋門と雉子橋門があった(後述するように、東京メトロ市ケ谷駅内には雉子橋門付近の石垣が復元されている)。これ以降は飯田橋まで、特に目ぼしいものはない。
江戸時代に日本橋川の三崎橋から堀留橋までの間は埋め立てられたが、明治36年に再び開削された。
日本橋川はJR水道橋駅の西側で神田川と合流し、ここからJR飯田橋駅の東側で神田川は北上するまでの間、神田川が外濠となる。
ただし先述のように、日本橋川の合流点から東側の神田川最下流域は江戸期の人工の水路で、川に沿って大規模な門も幾つか設けられたためか、しばしば外濠扱いされる。
外濠(飯田橋~赤坂見附)
飯田橋の牛込門跡から赤坂見附の赤坂門跡までは外濠がかなり残っているため、国の史跡に指定されている。なお、外濠通は外濠の外側に沿って走っている。
東京メトロの市ケ谷駅構内に、日本橋川沿いにあった雉子橋門付近の石垣が復元されている。なお、市谷門跡自体は、申し訳程度に石垣の石が転がって説明札が立っているだけなので割愛。
四ツ谷駅を挟んだ外濠公園と四谷濠(真田濠)には現在水濠はない。真田濠はJR四ツ谷駅や上智大のグラウンドになっている。
東京ガーデンテラス紀尾井町の開発に伴い、赤坂門(赤坂見附)の石垣の裏の石垣も復元され、紀州徳川家麹町邸の石組遺構も移築された。
現在する外濠はここまで。この辺から虎ノ門の近くまで溜池が続いていた。虎ノ門の地名はそこにあった江戸城虎ノ門に由来し、溜池山王駅の駅名はこの溜池に由来する(山王は日枝神社の旧称)。
外濠跡(赤坂見附以後)
この間は外濠は現存せず外堀通などになっているが、わずかながら石垣が残る所がある。霞が関コモンゲートの詳細については別稿を参照。
日比谷公園内にあった日比谷門は外濠沿いではないが、現在の濠の外側にあるということでここで紹介。
浜離宮恩賜庭園は、江戸時代は将軍家別邸の浜御殿であった(多少の変遷はあった)。江戸城の出城的性格も有し、江戸城とは濠や水路で結ばれ、北西隅には大手門と呼ばれた枡形門があった。また現在も敷地は石垣で囲まれている。
地図上の線は、江戸時代における現在の千代田区及び中央区内の濠や水路。赤線は外濠、紫線は内壕、黒線は神田川(外濠とされることも)、青線はその他運河等。
移築現存する江戸城の建造物
喜多院(埼玉県川越市)
喜多院の客殿と庫裏は1638年に、書院は1639年に、江戸城紅葉山の別邸より移築されたもの。
三芳野神社 & 川越氷川神社 & 仙波東照宮(埼玉県川越市)
江戸城二ノ丸東照宮(1637年建立)を江戸城紅葉山東照宮に合祀後の1656年、不要となった二ノ丸東照宮の社殿を川越城内に移築。その拝殿と幣殿は縮小してその外宮となり、さらに明治5年、川越氷川神社に境内社八坂神社として再移築された。
一方、二ノ丸東照宮の本殿の方は仙波東照宮の本殿として移築されたとの伝承があったが、学術調査で否定された。本殿の行方に関しては不明だが、仙波東照宮の本殿ではなく拝殿及び幣殿となった可能性もあるほか、三芳野神社の本殿となったとの説もある。
上野東照宮(東京都台東区)
上野東照宮の池之端口参道鳥居は1626年に江戸城紅葉山東照宮に奉納され、明治7年に当社に移築。
海雲寺(東京都杉並区)
海雲寺の山門は江戸城紅葉山の旧徳川家霊廟の門を明治元年に移築したものと伝える。
三溪園 臨春閣 & 聴秋閣(神奈川県横浜市)
三溪園にある臨春閣の由来について、『三溪園の建築と原三溪』は様々な説を載せるが、そのうちの1つに、当初は江戸城吹上苑で建造されたというものがある。ちなみに三溪園側では紀州徳川家別荘巌出御殿として建てられたと推測しているが、本書は大阪の春日出新田会所として建てられたと推論している。
このほか聴秋閣も、二条城内ではなく江戸城吹上苑に建てられたとの伝もある。