三芳野神社
三芳野(みよしの)神社は、埼玉県川越市の、西武新宿線の本川越駅より東へ徒歩23分、またはJR川越線・東武東上線の川越駅より北東へ徒歩32分の地に位置する鎮守社。川越城本丸御殿の正面に鎮座する。
川越城の天神曲輪跡跡に鎮座する天満宮であり、戦前の社格は県社に列した。
平安初期の大同2年(807年)に創建され、長徳元年(995年)に北野天神を勧請合祀。室町時代の長禄元年(1457年)の太田道真・太田道灌による川越城築城後は城内に鎮座することとなった。江戸時代は三芳野天神などと呼ばれていた。明治初期に三芳野神社と改称した。
社殿(本殿・幣殿・拝殿)、蛭子社、大黒社は県の文化財に指定されており、うち本殿は江戸城二ノ丸にあった東照宮の本殿を移築したものとの説もある。
また、童謡「とおりゃんせ」伝承地は日本全国に分布するが、当社もその一つ。
拝殿の左手前(西側)にあるのが蛭子社、右手前(東側)にあるのが大黒社。
社殿(本殿・幣殿・拝殿)は埼玉県指定有形文化財。現在の本殿と拝殿は江戸初期の1624年に独立した社殿として建立され、1656年に幣殿を建てて連結し権現造となった。
平成初期頃、本殿は江戸城二ノ丸東照宮の本殿を移築したものとの考察が成されたが、平成末期の解体修理ではその裏付けは得られなかったとしている。なお、この考察は仙波東照宮の本殿が伝承と異なり、江戸城二ノ丸東照宮ではなかったことが判明したのを受けてなされたもの。また二ノ丸東照宮の拝殿・幣殿は、三芳野神社外宮を経て、現在は川越氷川神社境内の八坂神社の社殿となっている。
蛭子社は1624年以前の築。埼玉県指定有形文化財。
大黒社も1624年以前の築。埼玉県指定有形文化財。
この境内は江戸時代は川越城の天神曲輪であり、境内にはその土塁が残る。天神曲輪は当時は水堀でほぼ囲まれていた。
三芳野神社の内宮・外宮と江戸城二ノ丸東照宮の社殿
江戸時代、当社には内宮と外宮があり、現存する神社は古来からある内宮の方である。内宮は川越城の天神曲輪に鎮座したのに対し、外宮は江戸前期の明暦2年(1656年)、別当寺の高松院とともに、より南方に位置していた田曲輪に造営された。
外宮へは庶民の参詣が正月25日と2月25日の年に2回、許されていた。三芳野神社は日本各地に分布する、童謡「とおりゃんせ」の舞台と伝わる地の一つであるが、それは庶民の参詣が許されていた外宮の方だと言う。
天神外宮の社殿は、江戸城の二ノ丸東照宮を城内の紅葉山東照宮に1654年に合祀した後、二ノ丸東照宮の社殿のうち拝殿と幣殿を1656年に縮小移築したもので、明治初期に天神外宮が高松院とともに廃絶した後は、その社殿は明治5年に川越氷川神社に移築され境内の八坂神社の拝殿・本殿となった。
なお、二ノ丸東照宮の本殿は仙波東照宮の本殿として移築されたと伝えられていたが、これは仙波東照宮本殿の解体修理の結果、否定された。天神内宮(現在の三芳野神社)の本殿がこの二ノ丸東照宮の旧本殿ではないかとの説が出されたのはこれを受けてのものであるが、平成末期に行われた三芳野神社社殿の解体修理ではその裏付けは得られなかった。