川越城跡
川越城は、埼玉県川越市の、西武新宿線の本川越駅より東へ徒歩23分、またはJR川越線・東武東上線の川越駅より北東へ徒歩32分の地に位置する平山城。別名は河越城、初雁城、霧隠城。埼玉県指定史跡。また財団法人日本城郭協会の日本100名城に選定されている。
室町時代の長禄元年(1457年)に太田道真・道灌によって築城され、江戸時代には大拡張され川越藩の藩庁所在地となった。
城の範囲は、東は本丸御殿の東方を流れる新河岸川から、西は市役所や川越小学校まで広がり、多重に水堀が本丸を囲んだ。現在、遺構の大半は失われているが、本丸御殿の一部、富士見櫓跡、中ノ門堀跡のほか、三芳野神社社殿及び天神曲輪の土塁などが残っている。
川越城本丸御殿
川越城の本丸御殿は江戸後期の1848年に建てられたもので、その一部(玄関・大広間)及び家老詰所が残る。本丸御殿の主要部が残るのは全国的にも珍しい。埼玉県指定有形文化財。
本丸御殿は一部しか現存しない。江戸時代にあった16棟1025坪のうち、現存するのは玄関・大広間、家老詰所の計165坪(往時の16%)である。
また家老詰所の現在の位置も、江戸時代当時とは異なる。
江戸時代はこの先に大書院が立っていた。
御殿西側のうち南方にある庭。左側に見える建物部分は明治初期の増築(明治棟)。右側に見える建物は大廊下の遺構で、江戸時代は更に先に伸びて、家老詰所(現在位置より西にあった)等へと繋がっていた。
家老詰所は、他所に移築されていたのを再移築して平成2年に公開。江戸時代は現在より西方に位置していた。
御殿西側のうち中央にある庭。
御殿西側のうち北端にある庭。
川越城中ノ門堀跡
中ノ門堀は西大手門側から本丸方向への敵の進入を阻むための堀の一つで、中ノ門は二階建の櫓門であった。現在、中ノ門堀跡の一部が中ノ門堀跡公園として整備公開されている。
川越城富士見櫓跡
川越城には天守はなく、三層の富士見櫓がその代わりを果たした。
この丘の上に富士見櫓が立っていた。なお、この丘の下には水堀があった。
現在は頂上付近に御嶽神社・浅間神社・稲荷神社が鎮座する。
三芳野神社
三芳野神社は、本丸御殿の正面の、天神曲輪跡に鎮座する。現在の社殿は江戸前期の1624年~1656年に建立されたもの。また境内社の蛭子社と大黒社も江戸時代からのものである。当社に関する詳細は三芳野神社の記事を参照。
他所に移築された川越城遺構
江戸時代に川越城内に建てられ、明治期の廃城後に他所へ移築された建築物には、川越氷川神社境内社八坂神社の社殿や、栄林寺の山門がある。
川越氷川神社 摂社八坂神社
川越氷川神社の境内摂社・八坂神社の本殿・拝殿は、江戸城の二ノ丸東照宮の拝殿及び幣殿(1637年築)が川越城内の三芳野神社の外宮として移築され、更に明治5年に当社に川越氷川神社境内に八坂神社の拝殿・本殿として移築されたもの。当社に関する詳細は川越氷川神社の記事を参照。
栄林寺 山門
栄林寺の山門は18世紀後期の築で、川越城の蓮池門(川越市立博物館の近くにあった)を明治2年に移築したと伝える。
当寺に関する詳細は栄林寺の記事を参照。