江戸城シリーズ第4回は、現在、皇居宮殿となっている部分が主題。
- 第1回:江戸城の概要
- 第2回:皇居外苑、和田倉噴水公園
- 第3回:皇居東御苑
- 第4回:皇居宮殿、乾通り(この項)
- 第5回:北の丸公園
- 第6回:外濠、移築建築
皇居宮殿
現在皇居宮殿のある領域は、旧江戸城の吹上曲輪・紅葉山・西ノ丸・的場の曲輪のあった部分であり、江戸城の中枢域ではない。庭園や徳川家霊廟、将軍の世継の住居や隠居所などのあった領域である。
ここは通常は非公開のエリアであるが、天皇誕生日・正月の一般参賀などの機会において一部が公開されるほか、桜と紅葉の時期には乾通りの通り抜け期間が設けられる。また事前申込制で参観する事も可能。
一般参賀のコースについては、正門(旧西の丸大手門)から宮殿前を通った後、天皇誕生日の場合は坂下門、桔梗門、または東御苑方面から退出するのに対し、新年の一般参賀では、東御苑へは抜けられないが、乾門へと抜けるコースが加わる(末尾の地図参照)。ただし、新年(1月2日)の場合、午前中は箱根駅伝の大手町での出発後なので、非常に混雑する。
なお、旧二の丸・三の丸の区域内であっても、通常公開されず皇居参観時のみ覗うことのできる部分は、このページで扱う。
正門石橋は旧西ノ丸下(曲輪)と旧的場曲輪を、奥の鉄橋(通称二重橋)は旧的場曲輪と旧西ノ丸を繋いでいる。
正門石橋は明治20年架橋だが、鉄橋は昭和39年に架け替えられた。また正門(旧西の丸大手門)は江戸時代は枡形門であった。
伏見櫓の手前には十四間多聞が、伏見櫓の奥には(見えないが)十六間多聞がある。
宮殿東庭から見た宮殿。一般参賀はここで行われる。この地域一帯は旧西ノ丸。
宮内庁庁舎(旧宮内省庁舎)は昭和10年築。この辺りから乾通沿いにある下道灌濠までは紅葉山と呼ばれていた。
坂下門は江戸時代は枡形門であったが、現在は渡櫓門のみ残っている。
一般参賀では退出用の門の一つ。また春秋の乾通り公開ではこの門が入口となる。
桔梗門からの退出コース
富士見櫓の裏側については第3回:皇居東御苑を参照。
旧枢密院(現・皇宮警察本部庁舎)は大正10年築。
桔梗門(内桜田門)は、総登城の際に10万石未満の大名が使用した門(10万石以上は大手門を使用)。
乾通りを経て退出するコース
一般参賀では、新年のときのみ乾通りを北上して乾門から退出することができる(天皇誕生日は不可)。乾通り公開の際は当然この道を通るのみだが、退出の選択肢として、乾門からではなく、西桔橋跡を経て東御苑に出ることもできる。
蓮池濠の石垣は、天守等のあった旧本丸(現・皇居東御苑)のもの。
富士見多聞の築年は不明だが、1659年頃の可能性がある。裏側については第3回:皇居東御苑を参照。
局門は明治20年頃、局(女官の居住施設)の門として築。
門長屋は明治20年築。現在、この奥には御養蚕所がある。
蓮池濠の西側は、宮内庁辺りから下道灌濠までは紅葉山、そこから乾門までは吹上(曲輪)である。
現在は道灌濠は上・中・下に分かれているが、江戸時代は繋がった一つの濠であった。
西桔橋跡は乾通りと天守台跡を結ぶ門の遺構。春秋の乾通り一般公開の際は、ここから東御苑へ退出することもできる。
乾門は、局門付近にあった紅葉山下門(西ノ丸への裏門)を明治期に移築改造したもの。乾門が面する道路を代官町通りと言う。代官町通りを西に向かうと、千鳥ケ淵と半蔵濠を分かつ道路を経て皇居の外周に出る。
半蔵門は皇居への通用門。江戸時代は枡形門であったが、明治4年に渡櫓門が撤去され高麗門だけとなった。のちに第二次大戦で戦災焼失し、和田倉門の高麗門を移築したという(吹上門を移築したとの説もある)。
吹上御苑
吹上御苑は、天皇家の御所や宮中祭祀の要である宮中三殿などがある、非公開領域。かつてはゴルフコースもあったが、昭和天皇の意向で自然に帰り、都心では消えた生物が多く棲息していることで知られる。また、新種の植物が発見されたり、オオタカの営巣が確認されていたりもする。
見ることはかなわないが、この領域にある主要な建物としては、吹上大宮御所(昭和天皇皇后の御所)、御所(今上天皇皇后の御所)、宮中三殿(明治21年)、吹上生物学御研究所(昭和3年)、紅葉山御養蚕所(大正3年)などの建物がある。
また、大池、中道灌濠、上道灌濠といった池や水濠も残る。
本稿にこれらの写真はないが、Google Maps で衛星写真に切り替えると、多少はわかる。
※ 地図上の赤線は天皇誕生日の一般参賀のコース(東御苑に抜けるコースは省略)。緑線は新年の一般参賀で追加されるコース。