日本橋三越本館 & 三井本館
日本橋三越本店本館および三井本館は、東京都中央区の、東京メトロ銀座線または半蔵門線の三越前駅より徒歩1分の地に位置する近代建築。
日本橋三越は、三井家の祖業である呉服店を発展させたもの。三井本館は、明治期に財閥へと発展した三井家の事業を統括した持株会社が置かれた。
ともに、建物は国の重要文化財に指定されている。
日本橋三越本店 本館
日本橋三越本店は、大正3年に三越呉服店本店として竣工。国指定重要文化財。
大正3年当時は現在の建物の東北角に当たる部分だけであったが、昭和2年には関東大震災時の修復を行うと共に西側に拡張し、昭和10年には上下に拡張し、昭和39年には南側にも拡張した。
屋上
屋上には、三井家の守護神である三囲神社(三圍神社)が勧請され、活動大黒天とともに祀られている。
移築された茶室
駒澤大学の深沢キャンパス(世田谷区)は、三越の迎賓施設であった三越シルバーハウス(平成11年売却)の跡地で、当時の庭園や洋館・日本館・茶室が保存されている。
うち、茶室・而今庵(にこんあん)は、日本橋三越本店内に昭和32年に建てられた樹庵(じゅあん)を、昭和47年に移築したもの。
三井本館
三井本館は、三井財閥を統括した持株会社「三井合名会社」のオフィス「三井本館」として、昭和4年竣工。国指定重要文化財。
三越と三井財閥
延宝元年(1673年)、松阪商人であった三井高利が、現・日本銀行辺りに、呉服業の越後屋として創業。
高利の祖父である高安は官位を越後守とする武士であり、その子の高俊が町人となって酒・味噌の商いを始めて「越後殿の酒屋」と呼ばれたのが越後屋の屋号の由来となった。
天和2年(1682年)、隣接地である現・日本橋三越の地に移転。
三井家は呉服業の傍ら両替店を育てており、両替店は現・三井本館の地に移転した。宝永2年(1705年)には呉服部門は本店一巻(ほんだないちまき)に、金融部門は最終的に享保4年(1719年)に両替店一巻(りょうがえだないちまき)に再編され、江戸期における同家の事業の両輪となった。なお、両事業を統括する大元方は、宝永7年(1710年)に京都に設置された。
しかし呉服部門は幕末から明治にかけて不振を極め、明治3年には本店から呉服店へと改称。同5年、三井家の事業から分離されて三越となり(店舗名は越後屋のまま)、店章も三井家の「丸に井桁三」紋から現在の丸越へと変更された。
また使用人が三越家となって呉服事業の当主となったが、明治26年には三井呉服店として再び三井家の事業となった。明治37年にはデパートメントストア宣言を行って百貨店の先駆けとなり、昭和3年には再び三越と改称した。
なお、三井財閥は、明治5年に東京大元方が新設され、同35年には三井本館(前代)が竣工し、同42年には三井合名会社が設立され、三井銀行・三井物産・三井鉱山の御三家を中心に、直系会社を統括した。
隣接して、日本銀行本店がある。