柴又帝釈天(題経寺)
柴又帝釈天(題経寺)は、東京都葛飾区の、京成金町線の柴又駅より北東へ4分の地に位置する、日蓮宗の名刹。
山号は経栄山。
江戸初期の寛永6年(1629年)に創建され、その後一時衰退するが、後に帝釈天信仰及び庚申信仰の寺として再興。所在不明になっていた宗祖日蓮自刻の帝釈天の板本尊が再発見されたのが安永8年(1779年)の庚申の日だったことで、庚申の日を縁日としている。
門前町も含め下町の雰囲気が濃厚。また第二次大戦の戦禍を免れた伽藍は、一括して区の登録文化財となっている。
表参道沿いは、伝統的な門前町の風情が漂うが、これは昭和初期にまとまりのある景観となったもの。農家が副業として帝釈天の参道に店を構えたのが始まりで、草だんごやせんべいが名物。
柴又は古代より交通の要点で、門前町としても栄え、国の文化的景観に選定されている。
二天門は明治30年建立で、二天像が収まる。彫刻が多く施されている。
大鐘楼堂は昭和30年の建立。
通用門は、現在の二天門の位置に19世紀初期に表門として建立され、明治26年頃に現在地に移築。
南大門は昭和57年建立。
二天門の正面に帝釈堂(左)、南大門の正面に本堂(右)がある。
帝釈天を祀る帝釈堂は、拝殿と内殿を相ノ間で連結した複合仏堂で、拝殿は昭和4年建立。
また、拝殿前の瑞龍のマツは東京都指定天然記念物で、400年前の創建時には既に大木だったと伝える。2月には「お神酒あげ」と称して、日本酒の一升瓶を100本以上、根の周りに流し込む。
帝釈堂の内殿(神社の本殿に相当)は大正4年建立。屋根には両側面に軒唐破風が付加されている。
帝釈堂は拝殿も内殿も彫刻が数多く施されているが、特に内殿は著しく、彫刻ギャラリーとして有料公開されている。
祖師堂(本堂)の拝殿は1786年、現在の帝釈堂拝殿の位置に、本堂として建立。1820年に背後に内殿が建立されるとその拝殿となり、また全体が帝釈堂と呼ばれるようになった。大正6年に祖師堂の拝殿として現在位置へ移築。
祖師堂の内殿は、1820年に帝釈堂の内殿として現在の帝釈堂内殿の位置に建立され、明治33年に祖師堂の内殿として現在位置へ移築。
釈迦堂(開山堂)は、釈迦如来に併せて当寺の開祖と中興祖を祀る。
1814年に祖師堂として、現在の祖師堂拝殿の位置に建立。明治33年に背後に内殿が移築されるとその拝殿となり、大正6年に移築され開山堂となった。
本堂・帝釈堂・大客殿を結ぶ大回廊は昭和35年建立。
帝釈堂前の手水舎にある手水鉢。
鳳翔会館は、著名な建築家・菊竹清訓の設計で昭和48年竣工。
邃渓園
大客殿の前庭である邃渓園は東京都指定名勝。昭和4年から大客殿とともに整備を始め、昭和40年に現在の形となった。彫刻ギャラリーと一括で有料公開されている。庭園には降りることはできないが、大客殿及び庭園の周囲を巡る廻廊(昭和59年建造)から一周して鑑賞することができる。
奥の長大な建物が東京都選定歴史的建造物の大客殿。昭和4年築。
節分
2月3日に催される節分会では、練り行列後、神猿と鬼の問答が行われ、その後に豆まきとなる(猿は庚申信仰と縁の深い生き物)。この行事に関する詳細は「柴又帝釈天 節分会」の記事を参照。
近隣には、戦前の実業家の旧宅を公開した山本亭がある。