三田の寺町
三田の寺町は、東京都港区の、東京メトロ南北線または都営三田線の白金高輪駅から北へ、慶応大学三田キャンパスの南まで広がる寺町。江戸幕府の都市政策によって中央区の八丁堀から移転させられてきた寺院が多く、港区では芝の増上寺周辺や高輪と並ぶ寺町である。現在は33ケ寺ほどのさほど大きな寺町ではなくまた大きな寺院もないが、第二次世界大戦の戦禍を免れ、割りと見所のある寺が集まっている。
魚籃寺
魚籃寺は浄土宗の寺院。正式には三田山水月院魚籃寺。
江戸初期の元和3年(1617年)に大分県中津市の円応寺に設けられた子院(魚籃院)が前身で、後に本尊(魚籃観世音菩薩)を当地に移し、承応元年(1652年)に正式に寺院となった。境内には塩地蔵尊もある。
山門は江戸後期の19世紀前期に建立。
本堂は明治36年建立。本堂の正面入口の両脇に増築したのか、正面が凹型となっている。
本尊は魚籃観世音菩薩。
塩地蔵尊は高輪の海中から出現したとされる。塩を供えて願をかけ、成就すれば塩をお供えして返礼する。
玉鳳寺
玉鳳寺は曹洞宗の寺院。山号は我棲山。
慶長4年(1599年)に八丁堀に創建され、寛永12年(1635年)に現在地に移転。
山門脇の小堂には化粧延命地蔵(おしろい地蔵)が安置されている。
山門は明治39年建立。
本堂は19世紀中頃の建立。本尊は聖観音。
化粧延命地蔵(おしろい地蔵)は、真言を唱えながら患部と同じ部分に白粉を塗って治癒を祈願する。
長松寺
長松寺は浄土宗の寺院。正式には寿命山称名院長松寺。院号は無量院だとも。
江戸城の和田倉門にあった寿命山称名院増上寺の境内にあった豊国庵という念仏堂に、永正元年(1504年)に増上寺第六世智雲が隠棲。この年を創建とし、慶長16年(1611年)に八丁堀に移転する際に大円寺と改称。元和8年に長松寺と改め、寛永12年(1635年)に現在地に移転。
境内にある荻生徂徠の墓が国の史跡に指定されている。
本尊は阿弥陀如来。
江戸時代の儒学者荻生徂徠の墓は国指定史跡(左側の一番高い墓石)。
常林寺
常林寺は曹洞宗の寺院。山号は虎嶽山。
慶長4年(1599年)に八丁堀に創建され、寛永12年(1635年)に現在地に移転。
庭園が良く整っている。
宝生院
宝生院は真言宗智山派の寺院。山号は龍臥山、寺号は明王寺。
慶長16年(1611年)に八丁堀に創建され、寛永12年(1635年)に現在地へと移転。
本堂は土蔵造。
本堂は19世紀前期に建立された土蔵造。本尊は大日如来。
明福寺
明福寺は(浄土)真宗大谷派の寺院。山号は中根山。
元和元年(1615年)、江戸桜田に創建。寛永元年(1624年)に麻布谷町に移転し、天明元年(1781年)に現在地に移転。
本堂は1799年建立で土蔵造。山門も江戸後期のもの。
願海寺
願海寺は浄土宗の寺院。正式には槃舟山易往院願海寺。
慶長16年(1611年)創建。
本堂はRC造だが、その脇に明治時代の洋館がある。
この明治期の洋館は、以前は屋根はセメント瓦(?)葺でドーマーがあったが、近年葺き替えられドーマーも取り払われた。
慈眼寺
慈眼寺は曹洞宗の寺院。山号は普門山。
文禄2年(1593年)、日本橋馬喰町に創建。明暦の大火(1657年)後、現在地に移転。
境内には小型の木造五重塔が立つ。
本尊は聖観音。
五重塔は平成26年建立。
実相寺
実相寺は浄土宗の寺院。正式には寂照山暁覺院實相寺。
慶長16年(1611年)に八丁堀に創建され、寛永12年(1635年)に現在地へと移転。
会津藩主保科家(松平家)の妻子らの比較的大きな墓所が残るのが特徴。当寺に関する詳細は実相寺の記事を参照。
キリスト友会フレンズセンター
キリスト友会フレンズセンターは大正12年竣工。国登録有形文化財。
亀塚公園
亀塚公園は華頂宮邸跡に開かれた公園で、外壁はその旧邸の遺構。
園内にある亀塚は古墳であるとされ、東京都指定史跡。頂部の酒壺に出入りする亀が一夜の風雨で石になったという伝説がある。
三田台公園
三田台公園もまた華頂宮邸跡に開かれた公園で、伊皿子貝塚遺跡の縄文住居跡や貝層の断面が復元展示されている。
この外壁も華頂宮邸遺構か。
なお、この「三田の寺町」の範囲は港区の文化財関係の資料に拠ったものであり、したがって住所が「港区三田」であっても本書に示された範囲内になかった龍原寺などは含んでいない。