虎ノ門金刀比羅宮
虎ノ門金刀比羅宮は、東京都港区の、東京メトロ銀座線の虎ノ門駅より南へ徒歩1分の地に位置する神社。
戦前の社格は東京府(東京都)の府社。
江戸前期の万治3年(1660年)、讃岐丸亀藩の藩主京極高和が、藩内の金刀比羅宮を、当時三田にあった江戸上屋敷に勧請して創建。延宝7年(1679年)、上屋敷の移動と共に現在地へと遷座。毎月10日には邸内の当社への一般庶民の参詣を許し、大いに繁栄した。
表参道は超高層ビル(虎ノ門琴平タワー)の一階を通る。社務所もこのビルの一階にある。
拝殿前の鳥居は江戸後期の1821年建立。港区指定有形文化財。
四神(東西南北を守護する青龍、白虎、朱雀、玄武)の彫刻が付加されている。
昭和26年に桧材で再建された拝殿・幣殿は、戦前期の著名な建築家である伊東忠太が設計校閲。東京都選定歴史的建造物。
本殿は昭和58年はRC造で再建。
結神社に多く奉納されているゴム紐は、良縁を願う女性によるもので、かつては自分の髪などを結びつけたという。
年中行事
梯子乗り
毎年1月4日には梯子乗りが境内で披露される。この行事に関する詳細は「虎ノ門金刀比羅宮 梯子乗り」の記事を参照。
月次祭
毎月10日の月次祭では、神楽殿にて里神楽が一日複数回奉納される(10日が1月・10月以外かつ日曜日の場合を除く)。なお10日でも1月の10日は初こんぴら祭として、10月の10日は大祭として、特ににぎやかに祭礼が執り行われる。
初こんぴら祭
毎月10日の縁日(月次祭)のうち、1月の10日は初こんぴら祭として、さらに賑やかに祭礼が執り行われる。この行事に関する詳細は「虎ノ門金刀比羅宮 初こんぴら祭」の記事を参照。
大祭
当社の大祭(例大祭)は10月10日(日程固定)で、おかめ・ひょっとこ民踊行列などが奉納される。この行事に関する詳細は「虎ノ門金刀比羅宮 大祭」の記事を参照。
当社に類似した由緒を持つ東京の金毘羅宮
当社に類似した由緒を持つ東京の金毘羅宮として、台東区の竹町金刀比羅神社と、文京区の金刀比羅宮東京分社がある。
つまり、高松藩は、江戸初期は讃岐一国を領有し、生駒氏が藩主であったが、その時代に勧請されたのが竹町金刀比羅神社。
その生駒氏が1640年に改易され、1642年には松平氏が藩主となったが、その時代に勧請されたのが、金刀比羅宮東京分社に合祀された水道橋金刀比羅神社。
1641年に高松藩から丸亀藩が分立して金毘羅宮が鎮座する領域を継承し、初めに山崎氏が、次に京極氏が藩主に着くが、この京極氏時代に勧請されたのが、虎ノ門金刀比羅宮、となる。
なお、江戸時代、京極氏は、丸亀藩主の京極氏だけでなく、讃岐多度津藩、但馬豊岡藩、丹後峰山藩各藩の藩主であった一族の京極氏も、讃岐金毘羅宮を江戸屋敷に勧請し、毎月10日に一般庶民に参詣を許していた。
竹町金刀比羅神社
竹町金刀比羅神社は、慶長年間(1596-1615年)、高松藩の藩主生駒一正が、藩内の讃岐金毘羅宮を江戸中屋敷に勧請した神社(当時の高松藩は、讃岐一国を領有していた)。
後に生駒家はお家騒動で矢島藩(秋田県由利本荘市内)に改易されるが、江戸屋敷での金毘羅宮の祭祀は継続され、毎月10日には邸内の社への一般庶民の参詣を許した。
金刀比羅宮東京分社
金刀比羅宮東京分社自体は、文政2年(1819年)に板橋宿の名主邸内に勧請され、明治21年に神田に、同23年に深川に遷座。
昭和39年に水道橋金刀比羅神社を合祀しその敷地に遷座した。
この水道橋金刀比羅神社が、寛政5年(1793年)に高松藩主松平家上屋敷内に勧請された社で、この社も、江戸時代には毎月10日に一般庶民に参詣を許していた。