新田神社
新田神社は、東京都大田区の、東急多摩川線武蔵新田駅より南へ徒歩3分の地に位置する鎮守社。
戦前の社格は東京府(東京都)の府社。
南北朝時代の南朝方の武将であった新田義興を祀る神社で、社殿の背後には祭神の墓と伝える塚もある。
新田義興は新田義貞の第二子で、多摩川渡船中に北朝方に謀られ渡し舟を沈められて主従ともども憤死、怨霊と化したため、それを鎮めるために神として祀られた。その後、江戸時代には武運の神として祀られるようになった。
なお、義興が謀殺されたのは当社近傍の矢口の渡しと伝えるが、稲城市矢野口の矢野渡しだとの異伝もある。
手水舎は伊勢神宮から昭和50年に下付されたと新田神社HPにある(下付された古材で作ったか)。
現在の拝殿は、昭和35年に移築された幣殿・本殿にあわせて新造。拝殿前には、伊勢神宮から昭和31年に下付された神灯が立つ。
本殿は明治神宮の旧仮殿を昭和35年に移築したもの。明治神宮の社殿は第二次大戦の空襲で焼失したため、戦後にこの仮殿を造営した。
神木のケヤキは樹齢700年。
神輿庫には矢口氷川神社の宮神輿(昭和33年製作)が展示されている。
新田神社はこの神輿を共同使用しているため、神輿の正面と背面には氷川神社の、両側面には新田神社の社紋が入っている。
社殿背後の御塚(別名は荒山、迷い塚)は直径15mの円墳で、祭神新田義興の墓と伝え、入ると祟りがあるとされる。
かつて「舟杉」という樹が生えていた(落雷で枯死)が、この杉は、沈没した義興の乗船の材で棺を作って義興を埋葬したところ、その棺から生じたとの伝承があった。
また、源氏の白旗を立てたのが根付いたとされる、「旗竹」という篠竹が生えているとされる。
なお、義興の墓と伝える地は、他に埼玉県入間市の入間愛宕神社や、群馬県太田市の威光寺にもある。うち入間愛宕神社の伝では、首は入間に埋められ、新田神社には胴が埋められているという。
破魔矢と矢守
新田神社は、破魔矢発祥の地を称している。平賀源内が、門前の茶店で売られていた縁起物を元に、境内の御塚に生える篠竹で矢守(破魔矢の元祖)を作ることを考案した、とする。現在は矢守は正月に授与している。
例大祭
新田神社の例大祭は10月10日。
午後には立身流の古武道奉納演武がある。また、年に一度の宝物殿公開もある。ただし、通常の年は神輿の渡御はない。
関連する神社
十騎神社
新田神社の近くにある十騎(じっき)神社は、新田義興とともに謀殺された10人の従者を祀る。別名は十寄(とよせ)神社。
女塚神社境内社 女塚霊神
女塚(おなづか)神社自体は旧称を八幡社と称して応神天皇を祀るが、境内の女塚古墳は埋葬者を女塚霊神として祀っている。この埋葬者には幾つか説があるが、一番有名なのは新田義興の侍女だった少将局だとするもので、義興に暗殺の危険を知らせたために殺されたという。