木母寺
木母寺(もくぼじ)は東京都墨田区の、東武スカイツリーラインの鐘ケ淵駅より西へ徒歩9分の地に位置する、天台宗寺院。正式には梅柳山墨田院木母寺。
平安時代の貞元元年(976年)、京都で人買いに拐われて奥州に向かう道中に当地で死去した梅若丸という12歳の子供を弔って梅若塚が設けられたが、翌年にその傍らに創建された念仏堂が草創で、梅若寺と号した。江戸初期の慶長12年(1607年)、木母寺と改称。
木母寺は明治元年に廃寺となって梅若神社に転じたが、明治21年に寺院として再興。昭和51年、再開発で現在地へと移転した。
梅若丸の物語は隅田川物として、謡曲や人形浄瑠璃、歌舞伎の題材となった。
本尊は慈恵大師(元三大師)。
梅若塚は梅若丸を弔ったと伝える塚で、木母寺境内にあるものはこれを再現したもの。江戸時代までは梅若山王権現として信仰された。
木母寺は昭和51年に現在地へ移転しており、本来の梅若塚は現在地より東にある(後述)。
梅若堂(梅若念仏堂)は、梅若丸の母である妙亀大明神が、梅若丸の死の翌年、墓(梅若塚)の傍らに建てた念仏堂が起源。
現在の堂は、寺院として復活直後の明治22年に建立されたもの。
梅若堂内には、中央に伎芸天、右に妙亀大明神(梅若丸の母の妙亀尼)、左に山王権現(梅若丸)の像が立つ。
関連の地
梅若塚
梅若塚は梅若丸の墓と伝える塚。東京都指定旧跡。
木母寺が昭和51年移転する前の旧境内(現・梅若公園)に残る。
なお、この梅若公園内に立つ榎本武揚像は、木母寺の境内に大正2年に建てられた。
妙亀塚
妙亀塚は台東区の橋場にある、梅若丸の母である妙亀の墓と伝える塚。東京都指定旧跡。
さらわれた梅若丸を追って妙亀は当地に至るが、既に我が子が亡くなったことを知り、その塚の傍らに庵を作り菩提を弔うが、遂には台東区橋場にあった池に投身自殺したと伝える。
この塚のある一帯はかつては曹洞宗の名刹総泉寺の境内であったが、総泉寺は関東大震災後に板橋区に移転した。
春日部市 梅若塚
埼玉県春日部市の満蔵寺にも梅若塚がる。こちらも梅若丸が死んで葬られたと塚と伝え、後にここから木母寺に移されたとしている。
泉崎村 梅若塚
福島県泉崎村にも梅若塚がる。梅若丸は泉崎村で死に、その供養のために築かれたとも言われる。