村山貯水池
村山貯水池(通称・多摩湖)は昭和2年に完成した水道用の人造湖で、西の村山上貯水池と東の村山下貯水池で成る。
なお、ほぼ隣接する山口貯水池(通称・狭山湖)も昭和9年に完成した水道用の人造湖で、埼玉県内にあるがこちらも東京都水道局の管理。
羽村市の羽村取水堰で取水した水の大部分は、地下水道管を通じて村山貯水池と山口貯水池に送水され貯水される。これら貯水池は完成当時は日本最大規模で、土木学会の選奨土木遺産となっている。
また一帯は都立狭山自然公園の一部で、うち村山下貯水池の堰堤から東は都立狭山公園として整備されている。
村山下貯水池
村山下貯水池は、東京都東大和市の、西武多摩川線の武蔵大和駅より北西へ徒歩8分、または同線の西武遊園地駅より西へ徒歩3分の地に位置する、上水道用途の人造湖。大正5年に着工し、昭和2年に完成。
堤体周辺には第一取水塔(東京都選定歴史的建造物)や余水吐などが残る。
堰堤は昭和2年竣工。
第一取水塔は大正14年完成で東京都選定歴史的建造物。なお、奥に見えるのは昭和48年完成の第二取水塔。
余水吐は水量調節で余った水を流す水路。
瀧見橋(余水吐二号橋)もまた余水吐上に架かる。大正15年架橋。
工事に尽力中に病没した中野昇博士の碑。
親柱は昭和2年建立。戦時中、空爆回避のカモフラージュのためコールタールを塗った跡が黒く残る。
このほか、同じく昭和2年に造られた高欄などが保存されている。
武蔵大和駅近くの余水吐モニュメント
西武多摩川線の武蔵大和駅のすぐ近くの公園 [地図] にも、余水吐の遺構が保存されている。
村山下貯水池からの余水吐の水が通った水門(水道トンネル出口)の遺構。おそらく水門の脇から水路に沿って掛けられていた橋。
村山上貯水池
村山上貯水池は、東京都東大和市の、西武狭山線・山口線の西武球場前駅より南へ徒歩9分の地に位置する、上水道用途の人造湖。
東側にある村山下貯水池とともに多摩湖と通称する。下貯水池より少し早い大正13年竣工。
上貯水池取水塔は、基部のみ大正13年完成当時のものが残る。その当時は上部の屋根はカマボコ型だった。