江島神社
江島神社は、神奈川県藤沢市の、小田急江ノ島線の片瀬江ノ島駅より南西へ徒歩15分、または江ノ島電鉄の江ノ島駅から南西へ徒歩18分の地に位置する鎮守社。
戦前の社格は県社で、現在は神社本庁別表神社。滋賀・竹生島、広島・厳島とともに日本三大弁天の一つに数えられる(ただし江島の代わりに奈良の天河大弁財天社を入れる組み合わせもある)。
欽明天皇13年(552年)の天皇の勅で創祀。寿永元年(1182年)には弁財天を勧請し、江戸時代は江島明神や与願寺と称したが、明治維新の神仏分離で江島神社となった(沿革は後述)。
神奈川県指定史跡および名勝の江島を巡るように辺津宮・中津宮・奥津宮が鎮座し、更にその奥に信仰発祥地の岩屋がある。
参道
小田急線の片瀬江ノ島駅から門前町入口の青銅鳥居までは徒歩15分。
片瀬江ノ島駅は江島への玄関口。竜宮城を模した現在の駅舎は令和2年完成。
江戸時代までは干潮時に現れた陸路を歩いて島に渡ったが、明治期に架橋された。かつては江島全体が聖域とされていた。
青銅鳥居は藤沢市指定有形文化財。
龍宮門形式の瑞心門は昭和61年建立。
辺津宮
辺津宮(へつみや、旧下之宮)は宗像三神の田寸津比売命を祀る。鎌倉時代の正治元年(1199年)に弁財天女が顕現したので、建永元年(1206年)創建。青銅鳥居から徒歩5分。
辺津宮の社殿は本殿・幣殿・拝殿を連結した権現造で、本殿は1675年の、拝殿・幣殿は昭和51年の建立。
八角堂の奉安殿は昭和45年建立。八臂弁財天と妙音弁財天(裸弁財天)を有料公開。
末社八坂神社は、対岸の小動神社の神体がかつて大波で江島に流されてきたのを祀ったと伝える。社殿は平成13年改築。
7月の例祭(江の島天王祭)は大規模な祭礼で、海中渡御などが行われる。
中津宮
中津宮(なかつみや、旧上之宮)は宗像三神の市寸島比売命を祀る。平安時代の仁壽三年(853年)に弁財天女が顕現したので創建。辺津宮から徒歩5分。
社殿は本殿・幣殿・拝殿を連結した権現造で1689年建立。
奥津宮
奥津宮(おくつみや、旧本宮御旅所、旧本社)は江戸前期(17世紀)頃の創建。宗像三神の多紀理比売命を祀る。中津宮から徒歩10分。
かつては岩屋本宮に海水が入る4~10月は本尊を御旅所に遷した。
拝殿は明治6年建立。
本殿は1842年建立。
龍宮(わだつみのみや)は、平成5年、岩屋の管理が神社から藤沢市に移ったため、岩屋本宮の真上に創建。江島に古来ある龍神信仰に基づくもので、祭神は龍宮大神。
江の島岩屋
奥津宮の更に進むと、海岸沿いに江島信仰発祥地の海食洞窟がある。昭和の途中まで江島神社の管理下にあって、岩屋本宮などと呼ばれていたが、現在は「江の島岩屋」として藤沢市が管理・公開している。奥津宮から徒歩10分。当所に関する詳細は江の島岩屋の記事を参照。
第一岩屋(奥行152m)はかつての岩屋本宮で、龍窟、蓬莱洞、金窟などの異称があった。また比較的新しい呼称と思われるが奥宮(地上の奥津宮とは別で)とも呼ばれていた。
欽明天皇13年(552年)、神託により天皇が岩屋内に創建したという。
江島神社の創建伝承と龍口明神社
江島神社の創建に関する沿革は以下の通りである。
欽明天皇13年(552年)、神託で天皇が岩屋に宮を建てたのが創祀。文武天皇4年(700年)に役小角が岩屋に参籠、弘仁5年(814年)に弘法大師空海が岩屋に岩屋本宮を創建、仁寿3年(853年)に慈覚大師円仁が上之宮(中津宮)を創建、寿永元年(1182年)に文覚が弁才天を勧請、建永元年(1206年)に慈覚上人良真が下之宮(辺津宮)を創建。また本宮御旅所(奥津宮)は江戸前期頃に創建された。
当社の縁起である『江島縁起』には幾つか伝本があるものの大意は同じである。内容は
神武天皇の代より、深沢湖(鎌倉市の深沢地区にあったと伝わる大湖)に棲む五頭龍は国土に災いを起し、子を喰らった。民が逃げたので地名を子死越と呼んだ(「腰越」の由来)。
欽明天皇13年(西暦552年)4月、空に弁財天女(無熱龍王の三女)が現れ、海からは江ノ島が湧出。龍は天女に改心服従し、龍口山と化して子死方明神と呼ばれた。
というもの(話は更に続くが、内容は既に述べた通り)。
縁起には欽明天皇の勅命で岩屋に宮を建てた話は出てこないので、縁起とは別の社伝と思われるが未確認。
なお、『江島大艸紙』では江ノ島が海から湧出したのは開化天皇6年(BC152年)4月としている。
現在、五頭龍を祀る子死方明神は、江島神社と夫婦神社とされる龍口明神社となっている。
龍口明神社は永らく江ノ島の対岸に祀られていたが、昭和53年には高地へと遷座した(跡地にも社殿が残されている)。
江の島のその他の見所
江の島サムエル・コッキング苑
江の島サムエル・コッキング苑は、江島神社の参道沿いにある植物園。江の島シーキャンドル(展望灯台)もある。
聖天島
聖天島(別名は水天島、聖天岩、白狐石など)は、建仁2年(1202年)に良真の前に弁才天女が顕現した島。かつては海の小島だったが、関東大震災で海底が隆起して地続きとなり、1964年の東京オリンピックに際しても埋め立てられ、現在の形となった。