石雲寺
石雲寺(せきうんじ)は、神奈川県伊勢原市の大山の東麓に位置する、曹洞宗の寺院。日向薬師バス停(伊勢原駅前に発着)より西へ徒歩14分。
奈良時代の養老2年(718年)、壬申の乱(672年)で敗北し当地に逃れ崩じた大友皇子(弘文天皇)の菩提を弔って創建。室町時代の長禄年間(1457-1461年)、曹洞宗寺院として中興開山。
飛び地に、創建伝承に関わる大友皇子(弘文天皇)の陵墓がある。
山門は平成30年建立。
本堂は江戸中期の1775年建立。
石尊社は大山の神である石尊権現を祀る。現・大山阿夫利神社を勧請した石尊社は関東を中心に多数の祠がある。
文明元年(1469年)、中興開山の天渓禅師が、雨降山(あふりやま、大山の別名)の神に授与された雨降石を神体に創建。なお、石雲寺の山号も雨降山である。
日向渕ノ上石造五層塔は、14世紀前半(鎌倉末期~南北朝初期)に伝・弘文天皇(大友皇子)陵に造立された石塔で、令和2年に境内に移設された。伊勢原市指定重要文化財。
伝・弘文天皇陵
当地の伝・弘文天皇(大友皇子)陵は、石雲寺から東へ徒歩10分の距離にある。
天智天皇の第一皇子・大友皇子(648-672年)は、壬申の乱(672年)で天智天皇の弟・大海人皇子(後の天武天皇)に近江にて敗れ自害。その陵墓は現在は宮内庁により滋賀県大津市の長等山前陵が治定されているが、実際の陵墓の所在地は不明である。
大友皇子は実は自害せず逃れていたという伝承は各地にあり、その陵墓伝承地も北は千葉から南は大阪まで各地にある。
なお、大友皇子が第39代弘文天皇として歴代天皇に列したのは明治3年のことで、実際に即位したのかは不明。
墓所は当初は松を植えただけで、鎌倉時代に石造五重塔を建立したと伝える。その石塔は令和2年に石雲寺境内に移され、現地には新しい石塔が建てられている。
大山の東麓には他に、日向薬師(宝城坊)や石雲寺などがある。
なお、健脚であれば、大山登山後にこちらの方面に下山することもできる。