大山阿夫利神社 & 大山寺
大山阿夫利(おおやまあふり)神社と大山寺(おおやまでら)は、神奈川県伊勢原市の大山(標高1252m)にある、山岳宗教の社寺。
大山は旧称を阿夫利山・雨降山とも称した有名な霊山で、江戸初期は水神・農業神として、中後期には病気平癒・商売繁盛の神として信仰され、講を作って集団で大山詣りを行うのが関東を中心に定着していた。
現在、小田急線伊勢原駅からのバスが平日は1時間に2本、土日祝は3本の間隔で運行しており、終点バス停から徒歩15分でケーブルカー乗場に至る。駐車場も終点バス停の近くにある。ケーブルカーは大山阿夫利神社の下社を6分で結び(徒歩なら1時間)、途中で大山寺に下車することも可能。中腹の下社から山頂の上社へは1時間30分の登山となる。
なお、大山阿夫利神社は崇神天皇の代(BC97-BC30年)の、大山寺は天平勝宝4年(752年)の創建と伝えるが、大山寺の縁起の中には、神代に行者が初めて登頂したとするものもある。
小田急線伊勢原駅前の大鳥居は近代の建立で、○ノ鳥居には数えない。
なお、一ノ鳥居は藤沢市内にある。
二ノ鳥居は雨岳文庫の隣りにある [地図]。
以前は200m南東にあったが、第二次大戦後に当地に移築。
三ノ鳥居は門前町にある [地図]。
かつては三ノ鳥居近くの子易明神比比多神社が大山への登山口だったが、大正5年に石段を撤去し車道が建設された。
大山の御師集落は蓑毛(秦野市内)にもあった。蓑毛にあった鳥居は昭和36年、200m南(小蓑毛)に移築された [地図]。
門前町
大山阿夫利神社 社務局
大山阿夫利神社の社務局は麓の門前町にある。境内は大山寺の別当であった八大坊(明治維新で廃寺)の跡地。
清岳殿(能舞台)は明治13年に下社の境内に建てられ、大正8年に現在地へ移築。能楽堂の前は池となっている。
末社勝海舟神社は、東京都大田区洗足池畔にあった勝海舟別邸の祠を昭和50年に移築し、勝海舟を祀ったもの。
門前町
麓には、大山阿夫利神社の社務局とともに、大山講の宿坊が並ぶ。
江戸時代、大山の主要登山口である大山町と蓑毛(現・秦野市内)には門前町が形成されたが、表参道である大山町の方が規模が大きかった。
良弁滝は、755年に大山寺を開いた良弁が最初に水行を行った滝。その脇に立つ開山堂(良弁堂)は明治41年改築。
麓には大山講の御師が宿坊街が形成された。バスを終点まで乗れば、宿坊街は素通りとなる。
こま参道は、バス終点とケーブルカー乗場との間にある土産物店街。
追分社~大山寺
バス終点である「大山ケーブル駅」バス停からケーブルカーの山麓駅までは徒歩15分。阿夫利神社下社までは、ケーブルカーなら6分、徒歩なら1時間(女坂)。
追分社
ケーブルカーには乗らず登山道を進むと、男坂と女坂の分岐点となる追分社がある。両坂は阿夫利神社下社の前で再合流するが、男坂の方は大山寺は通らない。
かつては追分社から下社にかけて20余の末社があったが、昭和6年にケーブルカーが開通(同19年廃線)すると、同20年までには全て追分社に合祀された。
追分社(八意思兼神社)は前不動堂のあった辺に建てられた。
大山寺
大山寺(おおやまでら)は、大山の中腹にある、真言宗大覚寺派の寺院。山号は雨降山。麓から女坂経由でアクセスできるほか、ケーブルカーの駅も設けられている。高幡不動金剛寺、成田山新勝寺と共に関東三大不動に挙げられる。
奈良時代の天平勝宝7年(755年)、良弁が開山。空海も第三世として当山に入った。明治に入るまで本堂は現・阿夫利神社下社の位置にあり、不動尊の山岳霊場として栄えたが、明治維新の廃仏毀釈で破却されて明治2年に明王寺に改称、同6年に現在地に復興し、大正4年に大山寺に復称。
女坂を登ると、まず大山寺子院の来迎院に至る。
前不動堂(来迎院本堂)は、現・追分社付近に、1856年の大火後に建てられた前不動堂を明治初期に移築。
来迎院の倶利伽羅堂は19世紀前半に建てられたもので、現・二重社より明治初期に移築。なお、現地説明板には、開山良弁が感得した大山守護神で雨乞いの本尊である大山龍神(八大龍王)を祀る龍神堂(八大堂)とある。
不動堂(本堂)は明治18年建立。国登録有形文化財。
大師堂は明治40年建立。
高さ11mの宝篋印塔は1795年に現・阿夫利神社下社に建立。明治元年に分解されたが、大正3年に現在地に再建。
大山寺縁起では、天平勝宝7年(755年)、良弁が発光する大山の山頂を掘ると不動明王の石像が現れ、その姿を模した木像を彫ると、大山が弥勒菩薩の兜率天浄土であることが示された。その後、山中で良弁の前に深沙大王という龍が現れ「仏法を蔑ろにして蛇身となったがこのたび兜率天の内院に生まれ変われたので、今後は大山寺を守護せん」と語り、二重滝を湧かせた、としている。
大山阿夫利神社 下社
大山阿夫利(おおやまあふり)神社は、大山(阿夫利山)山頂に上社(本社)、中腹に下社、麓に社務局を置く山岳信仰の神社。戦前の社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。石尊権現として、関東周辺各地に勧請された(ただし石尊社には富士山系もある)。
崇神天皇の代(BC97-BC30年)に創建。天平勝宝4年(752年)の大山寺創建以来、習合が進み、山頂に鎮座する石尊権現として、中腹の大山不動尊(大山寺)と一体的に信仰されたが、明治維新時に分離して社名も阿夫利神社に復し、大山寺跡には当社の下社が設立された。
ケーブルカーを利用するなら通らない。
追分社の所で別れた男坂と女坂は、阿夫利神社下社の手前で再合流する。
ケーブルカー駅からの参道とも合流し石段を登る。
拝殿は昭和52年建立。RC造。
浅間社は富士山信仰の神社。かつては大山と富士山をあわせて登拝することも多かった。
神水(大山名水)は飲用可。拝殿と参集殿の間の地下巡拝道に入るとある。
恵比寿・大黒・道祖神の像のほか、奉納された6mの木太刀も展示されている。かつて大山には木刀を納める風習があり、そのサイズや造形に凝る者も多かった。
獅子山は平成24年築造。日本三大獅子山と記してある。
入山祓所は、入山前に身を祓う所。
登拝門は上社への門。江戸時代は旧暦6月27日~7月17日のみ開かれ登拝が可能だった。現在は通年登拝できるが、7月27日~8月17日以外は片方の扉しか開かれない。
大山阿夫利神社 上社
大山阿夫利神社の上社は大山(標高1252m)山頂にあり、当社の前社・本社・奥社などが鎮座する。
江戸時代までは石尊大権現と称したが、これは神体が巨岩だからだという。
下社から上社は1時間30分の登山となる。
摂社前社(高龗神社)は髙龗神を祀る。高龗神は当社では小天狗でもある。
本社(旧称・石尊大権現社)は大山祗大神を祀る。
摂社奥社(大雷神社)は大雷神を祀る。大雷神は当社では大天狗でもある。
下山
下社へは元来た道を戻るのが一番早いが、そのまま進んで「見晴台」を経て戻る道もある。
上社から「見晴台」へ降りるのは50分。「見晴台」から二重滝を経由して下社へ戻るのは25分、戻らずにそのまま日向方面へ向かい浄発願寺奥ノ院に至るまでは50分。
見晴台が、下社方面と日向方面の分岐点となる。