英勝寺
英勝寺は、神奈川県鎌倉市の、JR横須賀線・江ノ島電鉄の鎌倉駅より北へ徒歩10分の地に位置する、浄土宗の寺院。山号は東光山。
江戸前期の寛永13年(1636年)、太田道灌の裔で家康の側室だった英勝院(1578-1642年)が開基となり、太田道灌屋敷跡と伝える地に創建。
江戸時代は代々水戸藩の姫君を住持に迎えたので水戸御殿との異名を取った。また現在では鎌倉唯一の尼寺。
鎌倉では珍しく江戸時代前期に建立された諸堂がまとまって残り、国の重要文化財に指定されている。
惣門は通常は閉ざされており、拝観者は脇門から入る。
山門は1643年建立。国指定重要文化財。
なお、山門脇の唐楓は市の天然記念物。
仏殿は1636年建立。重層に見えるが、裳階付の単層の建物。国指定重要文化財。
本尊は運慶作の阿弥陀三尊。
鐘楼は1645年建立。国指定重要文化財。
書院は関東大震災後の竣工。震災後に水戸徳川家の御殿を移築したとも。
太子堂は現在は石祠だが、かつての太子堂の建物が常楽寺に移築現存する(後述)。
また観音堂は比較的最近、建立された。
祠堂
祠堂は、開基である英勝院の位牌を祀る。
祠堂門は平唐門で、江戸初期の建立。国指定重要文化財。
祠堂は覆屋内に収まっている。
英勝院の位牌を祀る祠堂も江戸初期の建立。国指定重要文化財。
覆屋のガラス越しに拝観可能だが、全体像を撮るのは難しい。
祠堂の背後にある英勝院墓が、祠堂の重文指定に附指定されている。
三霊社権現社
三霊社権現社は社殿は無く洞窟であり、その中に仏像が祀られている。祭神は太田道灌ほか2霊神。
現在は入口と出口の穴が定められている(昔は指示はなかった)。
境内のその他の風景
伝・阿仏尼墓と智岸寺稲荷
英勝寺の門から出て北へ1分歩くと、英勝寺が管理する智岸寺稲荷と伝・阿仏尼墓がある。
鳥居の先に壁面の窪みに智岸寺稲荷の小祠がある。
その鳥居の左にあるやぐらが伝・阿仏尼墓。
阿仏尼は13世紀の女流歌人。十六夜日記などの作者として知られる。
英勝寺から移築された建築物
明治初期に英勝寺から移築された建物として、太子堂が大船の常楽寺に、門が扇ガ谷の浄光明寺に現存する。
常楽寺の文殊堂は、英勝寺に17世紀末頃に建立された太子堂を、明治14年に移築したもの。
浄光明寺の山門は、江戸初期に英勝寺に建立されたが明治初期に民間へ移され、大正15年に当寺へ再移築。
英勝寺では惣門または裏門だったと推定されている。