鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮は、神奈川県鎌倉市の、JR横須賀線・江ノ島電鉄の鎌倉駅より北東へ徒歩9分の地に位置する、関東有数の大社。
戦前の社格は国幣中社(ただし現在、神社本庁の包括下からは離脱したので、その別表神社ではない)。
また大分・宇佐神宮、京都・石清水八幡宮と共に日本三大八幡の一つだと称している(ただし当社が入らない三大の組み合わせもある)。
平安時代の康平6年(1063年)、源頼義が現・由比若宮の地に石清水八幡宮を勧請して創建。治承4年(1180年)、源頼朝が現在地に遷座した。
境内、及び当社の参道も兼ねていた若宮大路は国指定史跡であり、ユネスコ世界遺産暫定リスト「武家の古都・鎌倉」(イコモスに不登録勧告され推薦取り下げ)の構成資産でもあった。また建造物7棟が国の重要文化財に指定されている。
一ノ鳥居は1668年建立。国指定重要文化財。境内からは離れている [地図] 。
日光東照宮、京都・八坂神社の石鳥居と共に日本三石鳥居の一つとされることもある。
段葛はかつてはここが南端であったが、ここから二ノ鳥居までの部分は明治期に撤去された。
二ノ鳥居は鎌倉駅の近くにある(駅前商店街入口の鳥居は違うので注意)。段葛は現在は二ノ鳥居が南端。
段葛は、若宮大路中央に一段高く築かれた参道。
若宮大路自体が国指定史跡だが、段葛は別途神奈川県指定史跡となっている。
境内入口に立つのが三ノ鳥居。
三ノ鳥居の背後にある太鼓石橋は昭和2年架橋。参道の右にある源氏池と左にある平家池を繋ぐ水路上に架かる。
北条政子は源氏池を掘るに当たり、産と三をかけて3島を造ったと伝える。
源氏池に鎮座する旗上弁財天社は、明治元年の神仏分離で廃された弁財天社を昭和31年に再興したもの。
昭和55年、社殿を文政年間(1818-1831年)の古図を基に復元。
北条政子は平家池を掘るに当たり、源氏池とは逆に、死と四をかけて4島を造ったと伝える。
平家池畔の「鎌倉文華館鶴岡ミュージアム」は、昭和26年に坂倉準三の設計で神奈川県立近代美術館として竣工し、閉館後に当社に譲渡された(土地は元々社有地)もの。国指定重要文化財。
ミュージアムには、洗練されたデザインのカフェが附設された。
手水舎は昭和4年建立。
舞殿(下拝殿)は昭和7年建立。その前に付加された前御拝は平成16年建立。
写真奥に見える摂社若宮(下宮)は、大石段下に鎮座する。本宮(上宮)の祭神・応神天皇の御子である仁徳天皇を祀るので若宮と呼ぶ。
若宮の社殿(本殿・弊殿・拝殿を連結した権現造)は1624年建立で国指定重要文化財。特に本殿は五間社で、全国的にも割りと珍しい規模。
楼門は昭和5年建立。規模等は関東大震災で倒壊した文政期楼門を踏襲し、一部古材も利用している。
本宮(上宮)の社殿(本殿・弊殿・拝殿を連結した権現造)、回廊、末社武内社本殿は1828年建立で国指定重要文化財。特に本殿は九間社という、全国的にもかなり珍しい長大さ。
なお、楼門内は撮影禁止なので、社殿と武内社の写真は無い。
末社丸山稲荷社は、建久2年(1191年)に上宮を現在地に初めて建てた際、そこにあった稲荷社(松岡明神)を丸山へ遷したもの。
本殿は元々は1398年建立の夷社の社殿で、鎌倉では数少ない室町期の木造建築物。国指定重要文化財。
柳原神池では6月頃にはホタルが放たれる。
末社白旗神社は正治2年(1200年)に白旗大明神として創建。明治18年には頼朝を祀る白旗社と実朝を祀る柳営社が合併。
本殿は1828年建立で、元は朱塗だったが明治39年頃に黒漆塗となった。拝殿(旧幣殿)の四本の角柱は埼玉川口の銅鋳物。共に鎌倉市指定有形文化財。
鎌倉国宝館は昭和3年建立でRC造。校倉造を模している。国登録有形文化財。当社は敷地を貸与し、財団法人が運営。
祖霊社は、氏子崇敬者の祖霊および英霊を祀るため昭和24年創建。
境外末社今宮(新宮) [地図] は、承久の乱で流された後鳥羽・土御門・順徳天皇を慰霊するため宝治元年(1247年)創建。社殿は令和3年建立。
神苑ぼたん庭園
源氏池の南及び東岸には日本庭園「神苑ぼたん庭園」があり、牡丹の開花時期である冬と春には有料公開される。
他所に移築された建築物
市内の荏柄天神社、光明寺、蛭子神社には、当社から移築された(あるいは移築されたと伝える)建築物がある。
荏柄天神社 本殿
荏柄天神社の本殿は、鶴岡八幡宮若宮の本殿(1316年建立)を1622年に移築したもの。
光明寺 山門
光明寺の山門は1847年建立。鶴岡八幡宮の表門を移築したとも伝える。
蛭子神社 本殿
蛭子(ひるこ)神社の本殿は、鶴岡八幡宮の今宮の社殿を明治7年に移築。なお、『鎌倉の神社小事典』には、この本殿は昭和9年改築の際に内蔵したとある。
由比若宮
由比若宮(元八幡)は、鎌倉駅から徒歩21分の地にある、鶴岡八幡宮の元宮とされる境外末社。
鶴岡八幡宮は、康平6年(1063年)、この由比若宮の地に、源頼義により石清水八幡宮を勧請して創建され、治承4年(1180年)に源頼朝により現在地へと遷された。鶴岡八幡宮境内には当社に対する遥拝所もある。
なお、茅ヶ崎市の鶴嶺八幡宮はその社伝で、長元3年(1030年)にそこに創建され、そこから由比若宮へ遷座したとしている(そして旧地にも社が残った)。