丸山教 本庁
丸山教は、神奈川県川崎市の、、小田急線の向ヶ丘遊園駅より北へ徒歩7分、または小田急線・JR南武線の登戸駅より西へ徒歩9分の地に本部を置く、富士講系の新宗教団体。
登戸村では、江戸中期の宝暦年間(1751-1764年)より富士講が活動していた(丸山講)。その中で登戸村の農民・伊藤六郎兵衛(1829-1894年)は明治3年より頻繁に神託を受けるようになり、教祖となる。同8年、丸山講は同じ富士講の冨士一山講と合併し冨士一山講の丸山教会となる。冨士一山講は同9年に神道事務局に所属して扶桑教会となり、同15年に独立し神道扶桑派、更には神道扶桑教と改称。一方、丸山教会は明治18年に扶桑教から離脱して、翌年に神道本局(明治19年に神道事務局より改組)に転属し神道丸山教会本院と改称。第二次大戦後の昭和21年、丸山教として独立した。
御法(ごほう)は教祖が書き残した教義。「御」は本来はサイコロの五の目と同じ形をした文字。
御法聖地は、敷地の東側に、道路を一本挟んで存在する。明治22年に教祖が建立した御法塔がある。
その他の富士講の流れを汲む神道団体
江戸時代以来の富士講の流れを汲みながら、明治以降に教派神道として一派を立てたのは、神道扶桑教のほかには実行教(實行教)があり、教派神道十三派の一つに数えられている。
神道扶桑教 太祠
東京都世田谷区松原1-7-20 地図
實行教 本庁
埼玉県さいたま市北区盆栽町377-3 地図
近くには長念寺や光明院、登戸稲荷社がある。