中院
中院(なかいん)は、埼玉県川越市の、西武新宿線の本川越駅より東へ徒歩12分、またはJR川越線・東武東上線の川越駅より北東へ徒歩14分の地に位置する、天台宗の別格本山。正式には星野山無量寿寺中院。
平安時代の天長7年(830年)、慈覚大師円仁が天台宗の星野山無量寿寺仏地院を開基。鎌倉時代の永仁4年(1296年)には関東天台宗の本山となった。
表通りに面して3門が並び、それぞれから良く整った境内へと参道が通じている。また茶室は島崎藤村ゆかりのもの。
表通りに対して赤門、大門、鐘楼門の3門が北から南に並ぶ。
3門のうち一番北側にあるのが赤門で、18世紀中期の建立。赤門からの参道を進むと庫裏に至る。
中央にある大門は1768年建立。大門からの参道を進むと本堂に至る。
3門のうち一番南側にあるのが鐘楼門で、18世紀中期の建立。鐘楼門からの参道を進むと釈迦堂に至る。
本堂は1733年築。
釈迦堂は昭和61年築。
茶室不染亭は、島崎藤村が、川越市内にあった妻の実家加藤家に昭和4年に建てた離れ座敷。中院へは平成4年移築。
沿革
奈良時代に芳道仙人が当地周辺の海水を除き尊像を安置した霊場に、平安時代の天長7年(830年)、慈覚大師円仁が星野山無量寿寺仏地院を開基。無量寿寺は当初は仏地院(中院)のみであったが、後に仏蔵院(北院)、多聞院(南院、明治初期に廃寺)も創建された。鎌倉時代の永仁4年(1296年)には関東天台宗の本山となった。また宗門の関東における教育機関たる関東八箇檀林の筆頭であった。
慶長4年(1599年)に天海僧正が北院(喜多院)の住持となるまで、中院が無量寿寺内での中心的な存在であった。寛永10年(1633年)、中院の敷地に仙波東照宮が建てられることになったため、現在地へと移転した。