旧渋沢庭園
旧渋沢庭園は、東京都北区の、飛鳥山公園の一角にある旧渋澤家飛鳥山邸跡に整備された庭園。東京メトロ南北線の西ケ原駅よりは北西へ徒歩5分で、王子駅や都電荒川線飛鳥山停車場からも近い。
渋沢財閥を率いた大実業家の渋沢栄一は、明治12年、飛鳥山に別邸を構え、同34年からはそこが本邸となった。第二次大戦の戦禍でほとんどの建物は失われたが、接客用茶室だった晩香廬と、書庫だった青淵文庫が残り、共に重要文化財に指定されている。
なお、旧渋沢邸の敷地は平成4年に北区に売却されて、飛鳥山公園に組み入れられた。
元は接客用茶室だった晩香廬は国指定重要文化財。大正6年築。
元は書庫だった青淵文庫は国指定重要文化財。大正14年築。
兜稲荷は日本橋兜町の第一銀行内にあったが当地に遷座された。社殿は洋風であったが戦後に取り壊された。現在は鳥居や燈籠、社殿の基壇が残る。
飛鳥山公園
北区にある飛鳥山公園は、JR王子駅に隣接する、24時間開放の区立公園。
江戸時代より、徳川吉宗によって、庶民の花見の行楽地として整備された。享保5年(1720年)にまず現在の音無親水公園付近に桜が270本植えられたのを皮切りに、翌年には現在の飛鳥山公園に1000本の桜が植えられた。
敷地は元文元年(1736年)に領主の野間家から接収されて王子権現(現・王子神社)に寄進され、翌年には吉宗が自ら酒宴を催した。
明治6年(1873年)には、上野・芝・浅草・深川とともに日本最初の公園に指定された。このように歴史こそあるものの、幾つかの石碑などを除き、歴史を感じさせるものは少ない。
江戸時代以来の桜の名所として、染井吉野を中心に約600本の桜が植栽されている。また、ツツジも約10種・15000株、アジサイも約1300株植えられている。
公園名の由来は、亨2年(1322年)に現・王子神社とともに、紀州熊野より飛鳥明神を勧請したことによる。この飛鳥明神は、寛永年間(1624~1645年)に王子神社に合祀されたが、北側の公園の壁の非常に見難い所に狛犬が一対残されている。なお、分霊元の飛鳥明神は、新宮市の現・阿須賀神社の事と思われる。
公園の北端から西側へはツツジが約10種・15000株植えられており、4月下旬頃に見頃を迎える。
公園東側のJR線揃いに走る「飛鳥の小径」(350m)に植栽されている1300株のアジサイは6月中旬頃に見頃となる。なお、王子駅周辺には他に正受院、旧大蔵省醸造試験所第一工場、王子神社、王子稲荷神社、名主の滝公園、東京第一陸軍造兵廠遺構などがある。