飛鳥山公園 & 旧渋沢庭園
飛鳥山公園は江戸時代以来の桜の名所で、明治6年には上野・芝・浅草・深川とともに日本最初の公園に指定された。
その一角にある旧渋沢庭園は渋沢栄一の邸宅跡で、平成4年に北区が敷地を購入し飛鳥山公園に組み入れられた。
飛鳥山公園
飛鳥山公園は、東京都北区の、JR東北線・東京メトロ南北線・都電荒川線の王子駅より南西へ徒歩2分の地に位置する区立公園。
江戸時代、徳川吉宗によって、庶民の花見の行楽地として整備された。まず享保5年(1720年)に現・音無親水公園付近に桜が270本植えられたのを皮切りに、翌年には現・飛鳥山公園に1000本の桜が植えられた。
元文元年(1736年)、敷地は旗本・野間家から接収されて王子権現(現・王子神社)に寄進された。
明治6年、上野・芝・浅草・深川とともに日本最初の公園に指定。
江戸時代以来の桜の名所として、染井吉野を中心に約600本の桜が植栽されている。
園名は、元亨2年(1322年)に現・王子神社とともに、紀州熊野より飛鳥明神(新宮市の現・阿須賀神社か)が勧請されたことに由来する。飛鳥明神は寛永年間(1624-45年)に王子神社に合祀されたが、北側の公園の壁の非常に見難い所に狛犬が一対残されている。
公園の北端から西側へはツツジが約10種・15000株植えられており、4月下旬頃に見頃を迎える。
公園東側のJR線揃いに走る「飛鳥の小径」(350m)には1300株のアジサイが植栽されており、6月中旬頃に見頃となる。
旧渋沢庭園
旧渋沢庭園は、東京都北区の、東京メトロ南北線の西ケ原駅より北西へ徒歩5分の地に位置する庭園。
明治12年、渋沢財閥の渋沢栄一が飛鳥山に構えた別邸で、同34年からは本邸となった。平成4年に北区に売却され飛鳥山公園に組み込まれた。
第二次大戦の空襲でほとんどの建物は失われたが、残った晩香廬と青淵文庫が重要文化財に指定されている。
晩香廬は国指定重要文化財。大正6年、接客用茶室として竣工。
青淵文庫も国指定重要文化財。大正14年、書庫として竣工。
兜稲荷は、三井組の為換座(かわせざ)に三囲神社を勧請した社(兜社)で、後に日本橋兜町の第一銀行に引き継がれたが、明治30年に当地に遷座。
社殿は洋風であったが昭和41年に取り壊された。現在は鳥居や燈籠、社殿の基壇が残る。
紅葉ライトアップ
秋の紅葉の時期には、日本庭園部分がライトアップされる。この行事に関する詳細は「旧渋沢庭園 紅葉ライトアップ」の記事を参照。
なお、王子駅周辺には他に正受院、旧大蔵省醸造試験所第一工場、王子神社、王子稲荷神社、名主の滝公園、東京第一陸軍造兵廠遺構などがある。