東覚寺 & 田端八幡神社
東覚寺と田端八幡神社は、東京都北区の田端の、JR山手線の田端駅北口より南西へ徒歩5分の地に、隣り合って位置する寺社。明治維新の神仏分離までは、東覚寺は田端八幡神社の別当寺であった。
東覚寺
東覚寺(とうかくじ)は真言宗豊山派の寺院。
正式には白龍山壽命院東覺寺。
室町時代の延徳3年(1491年)、神田寺町筋違の地(万世橋付近)に創建。その後、根岸の御隠殿を経て、慶長年間(1596-1615年)に現在地に移転。
護摩堂の前に立つ一対の「赤壁仁王」で知られる。
本堂は昭和42年建立。
赤紙仁王
山門の横の明王殿の前に立つ赤壁仁王は、1641年に造立された金剛力士像。
明治維新時の神仏分離までは、隣の田端八幡神社の参道にあった。
病人が、この石像の、自分の患部と同じ位置に赤紙(魔を下す火の色)を貼ると、病が治癒するとされる。願成就して治癒すれば、草履を奉納する。仁王が祈願者を見舞いに日夜歩くためという。
谷中七福神巡りと庭園公開
当寺は谷中七福神の福禄寿も祀っており、その巡礼期間(1月1日~10日)にあわせて、本堂裏の庭園が無料公開される。
田端八幡神社
田端八幡神社は、田端を構成する旧上田端村と旧下田端村のうち、下田端の鎮守。
上田端の鎮守である上田端八幡神社と創建伝承がほぼ同一で、鎌倉幕府成立前後の文治5年(1189年)に源頼朝が奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼした帰路に当地に駐留し鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請した、というものである。
社殿は平成の入ってからの再建だが、RC造の神庫は戦前のもの。
明治維新までの別当寺は隣の東覚寺で、現在東覚寺にある赤紙仁王は維新までは当社の参道にあった。
一ノ鳥居の前にある石橋は、昭和初期の改修工事によって暗渠となった谷田川の谷田橋を移設したもの。
神庫は昭和3年建造。
例大祭
田端八幡神社の例大祭は8月中旬で、隔年に町神輿が出るが、本社神輿が出御するのは6年に一度。この行事に関する詳細は「田端八幡神社 例大祭」の記事を参照。
宮神輿は昭和3年製作。
近くには与楽寺がある。