乃木神社 & 旧乃木邸
乃木神社は、東京都港区の、東京メトロ千代田線の乃木坂駅の駅前に位置する神社。
軍神・乃木希典とその妻の静子夫人を祀る。
また隣接する乃木公園は、旧乃木希典邸を整備した区立公園。乃木希典は、長州藩支藩長府藩の藩士に生まれ、西南戦争、日清・日露戦争に従軍して軍神とうたわれ、最後は妻と共に、明治天皇に殉死した。
乃木神社
乃木神社は、陸軍大将乃木希典(1849-1912年)とその妻の静子夫人(1859-1912年)を祀る神社。
戦前の社格は東京府(東京都)の府社で、現在は神社本庁の別表神社。
昭和12年、旧乃木希典邸の隣接地に創建。
昭和17年には別格官幣社昇格願を提出したが、ならなかった。
元帥海軍大将・東郷平八郎を祀る渋谷区の東郷神社と対をなす神社。
正面からは扁額に隠れて見えないが、一ノ鳥居は額束のある伊勢鳥居。
正統形から逸脱したこのような鳥居が、このクラスの神社の表参道の鳥居に使われるのは珍しい。
社殿(拝殿、幣殿、本殿)は昭和37年に大江宏の設計で建立。本殿はよく見えないが、一般的な神明造。
大江新太郎が設計した創建当時の建物は、この祈祷待合所(旧手水舎、昭和9年竣工)を除き空襲で焼失した。
摂社・正松(せいしょう)神社の社殿は、昭和23年建立の乃木神社仮本殿で、設計は大江宏。
乃木が師事した松下村塾の玉木文之進正と、その後継者の吉田松陰を、山口県の松陰神社から勧請して昭和38年に創建。
末社・赤坂王子稲荷神社の社殿は令和元年建立。
乃木が崇敬した王子稲荷神社を勧請して昭和37年に創建。
毎月第4日曜日には、骨董市が境内入口付近で営まれる。
佐倉城跡へ移築された茶室
千葉県佐倉市の佐倉城跡にある三逕亭は、乃木神社の茶室忘筌を昭和58年に移築したもの。
この忘筌は、京都・大徳寺孤蓬庵の忘筌を模築したもので、銀座松屋に昭和28年に出品され、翌29年に乃木神社に移築された。
旧乃木邸
旧乃木邸(乃木公園)は、乃木神社に隣接する区立公園。
乃木希典が、明治12年から自刃する大正元年まで住んだ居宅で、乃木の遺言で東京市(後の東京都)に寄贈されて公園整備され大正4年に開園し、昭和25年に港区に移管された。
三階建の主屋は明治35年竣工。ドイツ留学中に見たフランス陸軍連隊本部を参考に、乃木自身が設計。港区指定有形文化財。
屋内は非公開だが、5・9・10月に公開日がある(撮影禁止)。
厩(馬小屋)は明治22年竣工。港区指定有形文化財。両端には馬糧庫と馬丁室がある。
御供待所は明治34年頃の竣工。
乃木神社HPによると、乃木家祖霊社は乃木家が所有した中野の邸宅にあった社殿を移築したもので、乃木神社創建までは乃木小社として乃木家の祖先と乃木将軍夫妻を祀っていたので、乃木神社の元宮に当たるとする。ただし乃木小社の戦前の写真と較べると、現在の乃木家祖霊社とは異なっている。
現在の祭神は乃木家祖先、及び日露戦争で戦死した息子2人(勝典・保典)。