満願寺
満願寺(まんがんじ)は、世田谷区の、東急大井町線の等々力駅より西へ徒歩4分の地に位置する、真言宗智山派の寺院。
正式には致航山感応院満願寺。
開創は平安末期と伝える。文明2年(1470年)に区内の深沢に中興され、現在地へは天文18年(1549年)に移転。江戸時代には山号を医王山から致航山に改めた。
本堂などの堂宇は吉田五十八の設計。
また木造の多宝塔や、日本三体地蔵の一つと称する一言地蔵尊、細井広沢墓(国の史跡)もある。
山門は近現代数寄屋造りの泰斗である吉田五十八の設計。昭和43年建立。
本堂も吉田五十八の設計。昭和43年建立。
本尊は大日如来。
客殿も吉田五十八の設計。昭和43年建立。
講堂は昭和62年建立。
講堂には、日本三体地蔵の一つと称する一言地蔵尊がある。『杉並区の歴史』によると、他の二つは茨城県利根町布川の徳満寺と港区愛宕の真福寺である(ただし、日本三大・三体と称する地蔵は国内に少なくとも十数箇所ある)。
本堂の裏には、平成2年建立の木造の大塔(多宝塔)がある。常日頃はこのようにあまり良く見えないが、年数回公開される。
柳沢吉保に重用された儒学者・細井広沢(細井廣澤、1658-1735年)の墓所は国指定史跡。
本堂裏の道路を一つ隔てて、薬師堂もある。
満願寺は明治の神仏分離令まで、隣接する玉川神社の別当寺であった。
また等々力駅南側の等々力渓谷沿いにある等々力不動尊は満願寺の別院である。