武蔵国府跡
武蔵国の範囲は現在の東京都(島嶼部除く)・埼玉県のほぼ全域と神奈川県の東部であった。
その国府は現・府中市に飛鳥~奈良時代初期(7世紀末~8世紀初頭)から平安時代末期(11世紀代)にかけて存在し、武蔵国の行政の中心として機能した。武蔵国府の範囲(東西約2.2km、南北最大1.8km)のうち、政務を担う役所群である国衙の跡と、国司の居室兼執務室である国司館の跡が「武蔵国府跡」として国の史跡に指定されている。
府中市郷土の森博物館に展示されている、古代の府中の模型。中央やや上にあるのが国衙で、北側から見たもの。
国衙地区
武蔵国府国衙跡は、東京都府中市の、JR南武線・武蔵野線の府中本町駅より東へ徒歩6分、または京王線の府中駅より南へ徒歩7分に位置する史跡公園。国司館跡(国司館と家康御殿史跡広場)とともに国指定史跡「武蔵国府跡」を構成する。
広大な国府のうち、国衙とは国庁(国司が政務や儀礼を執行した中枢施設)及びその周囲にあって行政を担った役所群。国府は国衙だけでなく、役人や兵士等の住居や市場、学校、民家等も含んだ。
武蔵国の国衙は、大国魂神社の境内及びその東側に東西200m以上・南北300mの範囲で広がっていたと推定されており、国衙の中枢を構成する建物2棟の跡に史跡公園が整備されている。
ふるさと府中歴史館
ふるさと府中歴史館は、国指定史跡「武蔵国府跡」の国衙があった大国魂神社境内にある、市立の郷土博物館。
国府関連の展示や資料などが閲覧できる。
国司館と家康御殿史跡広場
「国司館と家康御殿史跡広場」は、東京都府中市の、JR南武線・武蔵野線の府中本町駅より東へ徒歩1分、または京王線の府中駅より南へ徒歩9分に位置する史跡公園。国司館があった地区で、国衙跡とともに国指定史跡「武蔵国府跡」を構成する。
国府の長官である国司は朝廷からの派遣であり、その居室兼執務室として国司館(こくしのたち)が用意された。この広場に国司館が置かれたのは7世紀後半から8世紀前半頃であった(その後はJR府中本町駅の西側に移転)。
また1590年には徳川家康がこの敷地に府中御殿を築き(家康はここが国司館跡である事を意識して御殿を築いた)、家康・秀忠・家光が鷹狩などで訪れたが、1646年に焼失した。
なお、江戸時代の地誌『江戸名所図会』では、初代武蔵国造・兄多毛比命の居館跡であったとの伝承を載せる(当書は武蔵国造としているが、兄多毛比命は无邪志国造であって、无邪志国と武蔵国の関係は諸説あり同一とは限らない)。
8世紀前半の主殿、脇殿、付属建物を1/10スケールで推定復元したもの。国司赴任時の儀式も人形で再現してある。
主殿(主屋、左奥の柱群)は生活の場であるとともに様々な儀式や饗宴を開催し、脇殿(副屋、右の柱群)は国司とその従者等が仕事や生活で使用し、付属建物(手前の柱群)は国司の生活用具や儀式・饗宴の備品を保管したと推定されている。