大国魂神社
大国魂神社(大國魂神社)は、東京都府中市の、JR南武線・武蔵野線の府中本町駅より東へ徒歩2分、または京王線の府中駅より南へ徒歩5分の地に位置する、東京有数の大社。
武蔵国総社であり、戦前の社格では官幣小社に列し、現在は神社本庁別表神社となっている。また明治初期に一時的に准勅祭社が定められた際にはその十二社の一つにも選ばれた(ただし都区部にないため東京十社には数えない)。
境内は武蔵国府の国衙跡として国の史跡に指定されている。
景行天皇41年(西暦111年)、祭神・大国魂大神(神社側ではこれを大国主神と同一神としている)の神託により創建。当初は大国魂神社と称したというが、中古以降は六所宮と称し、明治4年復称したとする。
社前の旧参道沿いのケヤキを主体とする並木で国指定天然記念物。起源については、源頼義・義家が奥州征伐の帰路にケヤキを奉樹したのが始めとするほか、幾つかの説がある。
随神門は平成23年建立。正面には随神が、背面には恵比寿・大国の像が納められている。
なお、前代の随神門は武蔵国府八幡宮に移築されている。
手水舎は明治30年建立。手水舎としてはかなり複雑な屋根構成で、軒下には彫刻が多く施されている。
以前の水盤は、随神門と同じく武蔵国府八幡宮に移されている。
廻廊と中雀門は昭和44年建立。
拝殿は明治18年建立。
本殿は江戸前期の1667年建立。三間社流造3棟(東殿・中殿・西殿)を相ノ間を設けず連結した九間社流造(向拝は五間)で、これだけの桁行の神社本殿は全国的にもかなり珍しい。東京都指定有形文化財。
中殿に大国魂大神・御霊大神・国内諸神、東殿に武蔵国の一宮・二宮・三宮の神、西殿に武蔵国の四宮・五宮・六宮の神、の計9座を祀っている。
神楽殿は昭和6年建立。
鼓楼は江戸末期の1854年建立。府中市指定有形文化財。
参集殿は昭和33年竣工。
境内には常設の相撲場が設けられており、毎年8月1日には八朔相撲祭が行われる。
本殿裏にあるこの大銀杏など、境内樹木の一部は府中市指定天然記念物となっている。
境内社
宮乃咩(みやのめ)神社の創建は本社と同時代と伝わる。現在の主祭神は天鈿女命。なお、下野国や上野国の国府跡にも類似した名の社が残っている。
一説に、本来は宮乃咩神社が国府総社であったが、国府六所社であった大国魂神社に取り込まれ、大国魂神社の方が総社とされるようになったとも。
宮乃咩神社は安産の神であり、安産を願って絵馬を奉納し、願いが叶うと穴の抜けたヒシャクを奉納する風習が残る。
大鳥神社の祭礼として、11月には酉の市が立つ。
東照宮の門と玉垣は1743年建立。
東照宮の本殿も1743年建立。府中市指定有形文化財。
松尾神社は酒造の神であり、酒樽が奉納されている。
年中行事
当社の年中行事において、特徴的または規模が大きいものには以下のようなものがある。固定日開催のものが多い。
1月初旬 初詣
東京多摩ではトップクラスの初詣者数を誇る。昔、当社の祭神が待ち合わせをして待たされ、「待つのは嫌い」と述べた、という伝説があり、当社周辺では門松など松を飾らない。
2月3日 節分追儺式
一日に複数回の豆まきが行われ、多くの人出がある。
4月30日-5月6日 くらやみ祭り
当社の例大祭。5月3~4日にかけて競馬式や太鼓の響宴、山車行列などが行われ、クライマックスの5日夕刻からは宮神輿8基の出御、やぶさめの儀と続き、6日朝に宮神輿が還御する(夜間に神輿が巡行するので「くらやみ祭り」)。露店も多数出店。東京都指定無形民俗文化財。
7月12-13日 宮乃咩神社例祭
12日に青袖祭、13日に杉舞祭として神前舞が行われる。
6月頃 府中流鏑馬
武術演武、武者行列、流鏑馬が行われる。当社の主催ではないが、当社の参道で行われる。
7月20日 すもも祭
スモモの露店が並ぶ。縁起物の烏が描かれた黒い団扇は、病気・病害虫除けとして民家の玄関口に飾られる。
8月1日 八朔相撲祭
土俵で子供相撲が奉納される。
9月27・28日 秋季祭くり祭
栗の露店が並ぶ。ケヤキ並木では山車が競演。
11月酉の日 酉の市
大鷲神社の例祭。関東三大酉の市の一つ。縁起物の熊手や一般の露店が並ぶ。菊花展も重なる。この行事に関する詳細は「大国魂神社 酉の市」の記事を参照。
12月末 幕れの市
正月飾りの市が立つ。そのほか、稲荷様の絵馬やミキノクチという供え物も売られる。
明治維新時の神仏分離令まで、近くの安養寺が当社の別当寺であった。
境外の主な関連社など
御旅所
御旅所は、くらやみ祭り(例大祭)にて、5月5日の夜に8基の宮神輿が渡御する場所。
江戸時代には禁制・法令等を伝えるための板札があった府中高札場跡であり、江戸末期の建物が残る。東京都指定旧跡。
なお、現在は斜めに建っているが、江戸時代は甲州街道に並行して建っていた。
坪宮
坪宮(つぼのみや)は大国魂神社の境外摂社。別名は国造神社で、祭神は武蔵国初代国造の兄多気比命。江戸時代は津保宮とも表記した。くらやみ祭り(例大祭)では奉幣が献ぜられる。
かつて武蔵国衙跡が不明であった頃、社地は国衙跡の候補の一つであった。国府跡に良く見られる守公社や印鑰社である可能性も推定されている。
武蔵国府八幡宮
武蔵国府八幡宮は武蔵国の一国一社八幡宮として創建され、国府の守護神であったと推測されている。当社に関する詳細は武蔵国府八幡宮の記事を参照。
天神社
大国魂神社の境外末社である天神社は日吉神社と地続きの境内で、その鎮座する丘は一説に国造の墳墓跡とも言われる。祭神は少名彦命。
国府には天神社も勧請されることが多く(国府天神・府中天神)、当社もそうではないかと推測する向きもある。
これは覆屋で、中に社殿が収められている。