長楽寺
長楽寺は、群馬県太田市の、東武伊勢崎線の世良田駅より南へ徒歩17分の地に位置する、天台宗の寺院。正式には世良田山真言院長樂寺。
鎌倉時代の承久3年(1221年)、新田氏本宗家初代・新田義重の子で得川氏・世良田氏の始祖となった義季が開基となり、臨済宗寺院として創建。東関最初禅窟(東日本最初の禅寺)と称し、後には五山十刹の十刹第7位に列した。禅の専門道場ではなく、顕教密教も兼修した三宗兼学の寺として繁栄したが、戦国時代に衰退。
江戸初期に天海大僧正が住職となり天台宗に改宗し再興。境内には世良田東照宮が創建され、明治維新までその別当寺であった。
境内は国指定史跡新田荘遺跡の一部となっている。
通りに面する総門は江戸末期の建立。総門を入ってまっすぐ進むと山門と本堂に通じる。
総門と並んで通りに面している勅使門は17世紀中期建立で群馬県指定重要文化財。江戸期は世良田東照宮の正門であったが、明治維新時の神仏分離で長楽寺の所有となった。
勅使または幕府の上使の参向時および新住職の入山時を除き閉ざされていたため「あかずの門」とも、またその色から赤門とも呼ばれた。
勅使門の裏には蓮池(心字池)がある。この蓮池の底は竜宮に通じていると伝える。
蓮池に架かる渡月橋は1796年建造。
勅使門から渡月橋を渡った先にある三仏堂は1651年建立。群馬県指定重要文化財。
通りに面する総門から直進すると山門。
本堂は平成17年建立。
三仏堂の背後にある太鼓門(鼓楼)は17世紀中期の建立。群馬県指定重要文化財。
開山堂は19世紀前期の建立。
開山堂には当寺の開山となった栄朝の像が祀られている。また開山堂の背後には栄朝の墓を始め、歴代住持の墓塔が並ぶ。
明治維新後、新田氏の支流であった旗本・岩松氏が新田氏の嫡流と認められて新田に復姓し、先祖の勤王の功で男爵に叙した。
実は岩松氏初代・岩松時兼の父は足利氏なのだが、その父に義絶されたため、母方の新田氏を名乗ったとされる。
文珠山と呼ばれる前方後円墳の墳墓上には、得川(徳川)家累代の墓所がある。
この宝塔は、開基である得川義季の供養のため1276年に建立されたと推定されている。国指定重要文化財。
三河の徳川家
前述の通り、長楽寺の開基は、新田氏本宗家初代・新田義重の子の義季である。義季は得川郷および世良田郷の領主で、得川氏・世良田氏の祖となった。
戦国時代、三河国の松平清康(家康の祖父)は世良田氏の後裔を称し始めたが、家康は三河守任官時の経緯から得川氏の末裔だとし、徳川へ改姓した。
また長楽寺は江戸時代、徳川氏(得川氏)の祖が開基であった縁で徳川氏の庇護を受け、境内には東照宮も建立された。
近くには世良田東照宮、総持寺、世良田八坂神社などがある。