吉祥寺
吉祥寺は、東京都文京区の、東京メトロ南北線の本駒込駅より北へ徒歩4分の地に位置する、曹洞宗の名刹。
山号は諏訪山。
長禄2年(1458年)、江戸城築城中の太田道灌は、吉祥と刻まれた金印を発見し、城内の和田倉門付近にあった諏訪神社境内に諏訪山吉祥寺を創建。天正19年(1591年)に神田駿河台に移転。次いで明暦3年(1657年)の大火で焼失して現在地に移転。
江戸時代には曹洞宗の研究教育機関である旃檀林(駒澤大学の前身)が置かれていた。
第二次大戦前は大伽藍を誇ったが、空襲で経蔵と山門以外ほぼ焼失した。
名刹だけあって大名家の墓所も多いが、新潟の新発田藩主溝口家や茨城の麻生藩主新庄家などの墓所以外は縮小整理されている。
山門は1802年建立。
春は枝垂れ桜が美しい参道となる。この他にも、吉祥寺の境内に桜は多く植えられている。
茗荷稲荷は、吉祥寺が当地に移ってきた時には既にあった。社殿は昭和28年再建。
吉祥寺大仏は1722年鋳造。
経蔵は1804年建立。文京区指定有形文化財。
経蔵の前には、一対の狛虎がある。他に狛虎がある寺社としては、港区の天現寺や新宿区の善国寺がある。
本堂は昭和39年建立。本尊は釈迦如来。
方丈は明治天皇の内侍(女官)であった「山茶花の局」の邸宅の書院を戦後に移築したものだが、背後にあり見る事はできない。
開山堂は、昭和28年に再建された本堂を、現在の本堂を建造後に転用したもの。薬師寺の東塔を模したという。
墓地
新発田藩は現在の新潟県新発田市周辺を中心とする藩。
麻生藩は現在の行方市麻生周辺を中心とする藩。
他の大名家の墓所としては、松前藩主松前家、壬生藩主鳥居家、七日市藩主前田家、福江藩主五島家などがあるが、縮小整理されている。
旗本・楠家(甲斐荘家・甲斐庄家、楠木正成の子孫と称する)の立派な墓所もある。
昭和14年、尊徳の子孫が当寺に預けていた遺骨を元に尊徳の墓が造られた。傍らには金次郎像もある。
近代建築の範疇に入りそうな立派な納骨堂もいくつかある。
花供養
花供養という行事が、4月中旬頃催される。吉祥寺の前にかつて駒込生花市場があった関係で、花卉業界と共に花への1年間の感謝を込めて始められた。茗荷稲荷前で法要後、参列者に花が配布される。
なお、花供養とその後の花の配布は、世田谷区の九品仏浄真寺でも5月中旬頃に行われている。