鉄砲洲稲荷神社
鐵砲洲(てっぽうず)稲荷神社は、東京都中央区の、JR京葉線または東京メトロ日比谷線の八丁堀駅より南東へ徒歩4分の地に位置する鎮守社。
承和8年(841年)創建。当社は江戸湊の守護神で、海の埋立の進行とともに海側へと遷座を繰り返し、現在地へは明治元年に遷座した(後述)。
江戸時代には関東総司稲荷神社と称したともいう(後述)。
第二次大戦の戦禍を免れ、昭和初期に整備された建築群は、中央区民有形文化財に登録されている。
拝殿は昭和初期の建立。
本殿(と地下室)は昭和10年建立でRC造。戦前のRC造の神社社殿は割りと珍しい。
摂社八幡神社は、寛永元年に前の社地に遷座した際、その地に元から鎮座していた社(地主神)。
社殿は昭和初期の建立。
八幡神社のほか天満社・浅間社三輪社・琴平神社・住吉社も合わせ祀っており、神座も5座ある。
神楽殿は昭和12年建立。
富士塚も中央区民有形文化財に登録されている。頂上には富士浅間神社の祠がある。
昭和11年に移築され、平成29年には一時撤去後に復元された。
宮神輿と鳳輦は例大祭で3年毎に渡御。宮神輿は大正5年製作で、台輪幅は4尺1寸5分。
沿革
平安時代の承和8年(841年)、凶作が続く中、荏原郡桜田郷(現・千代田区霞が関辺り)の住民が、生成太神を祀って創建。
当地の海の埋立が進むと海に向かってまず現・京橋の辺りに遷座し、大永年間(1520年代)には現・新京橋(銀座一丁目)辺りへ遷座し八町堀稲荷神社と称した。
江戸時代は更に海岸の埋め立てが進んだので、寛永元年(1624年)、更に海寄りの稲荷橋の南東詰(現在の湊1丁目辺り)に遷った。
そして明治元年、鎮座地が外国人居留地となったため、現在地へと遷座した。
関東総司稲荷神社
『全国神社名鑑』によると、江戸初期の寛文5年(1665年)、鉄砲洲稲荷神社は吉田神道の吉田兼敬より正一位稲荷大明神の神位と神号を授かり、以来、関東総司稲荷神社と称した、とする。
ただし、稲荷の関東総司は文京区の妻恋神社と北区の王子稲荷神社が圧倒的に有名で、両社はこの地位を巡って江戸時代に裁判まで行っている。
また『東京都神社名鑑』には、新宿区の水稲荷神社も関東稲荷惣領職を賜った、とある。
年中行事
寒中水浴大会(寒中禊)
1月の第2日曜には、境内中央に置かれたプールで寒中水浴大会(寒中禊)が開かれる。この行事に関する詳細は「鉄砲洲稲荷神社 寒中水浴大会」の記事を参照。
例大祭
鉄砲洲稲荷神社の例大祭は5月初旬に催される。宮神輿と鳳輦が渡御する本祭は基本的には3年毎。また毎年、子ども歌舞伎が奉納される。この行事に関する詳細は「鉄砲洲稲荷神社 例大祭」の記事を参照。