亀戸香取神社
亀戸香取神社は、東京都江東区の、JR総武線の亀戸駅より北西へ徒歩10分の地に位置する鎮守社。
飛鳥時代の天智天皇4年(665年)、東国下向中だった藤原鎌足が当地に香取神を勧請して創建。
社殿は第二次大戦で戦災焼失し、戦後のものだが、木造で再建されている。
一ノ鳥居は亀戸天神通り沿いの商店街に立つ。
公式HPに覆屋内に収められている本殿らしき社殿の屋根の一部の写真が掲載されているが、かなり個性的な屋根の装飾である。
ガラス窓の反射で日中は撮影が難しいが、本社神輿(こんにゃく神輿)やその前代の本社神輿、刀剣、道祖神祭祭具の宝船などが展示されている。
亀戸香取神社と「亀戸」
亀戸香取神社の社伝では、665年に藤原鎌足が当社を創建した当時はまだここは亀ノ島という名の海の孤島で、鎌足は船で着岸して祀ったとされる。後にこの島は陸続きとなって、亀村という村が出来る。この村内にあった井戸「亀ケ井」と混同され「亀井戸」となり、さらに後に転訛して「亀戸」となったといい、モニュメントが置かれている(なお、近くの亀戸天神社にも亀井戸跡の石碑がある)。
主な年中行事
当社の年中行事で特徴的なのは5月に行われる勝矢祭で、武者行列が出る。また8月の例大祭も比較的規模が大きい。
また、4月には植木市や古武道奉納演武大会が開かれる。この植木市は、神社HPには「植木市の元祖」とあるが、社誌『東京亀戸香取神社誌』によると、明治17年に始まったもののようである。
初詣
亀戸香取神社の初詣では、参道に行灯が灯され、境内ではお焚きあげがある。
勝矢祭
5月に行われる勝矢祭は、天慶2年(939年)に平将門が反乱を起こしたときに藤原秀郷が亀戸香取神社に武運を祈願、平定後に神助に感謝して当社に弓矢を奉納し「勝矢」と命名したことにちなみ、勝矢を献納する祭礼で、武者行列が出る。この行事に関する詳細は「亀戸香取神社 勝矢祭」の記事を参照。
例大祭
例大祭は8月上旬に執り行われ、4年に一度の本祭では本社神輿が渡御する。本社神輿は明治11年製作。担ぐと屋根・胴体・台座が各々別の動きをするので「こんにゃく神輿」と俗称される。この行事に関する詳細は「亀戸香取神社 例大祭」の記事を参照。
参考:社家香取家について
当社の社家は、建武年間(1334~1336年)以来、香取家である。この香取家は『東京亀戸香取神社誌』によると矢作連であって、香取神宮宮司家だった香取家とは別系統のようだが、矢作連の遠祖は布都努志乃命であり、この神は香取神宮の祭神経津主神と同一視されている。
明治維新時の社家廃止令により、多くの世襲社家が全国の神社を離れたが、当社のように乗り切った社家もまた少なからず存在する。
なお、香取神宮宮司家の香取家もまた香取神宮祭神の経津主神の神裔であった(香取神宮の創建は神武天皇即位18年と伝える)が、途中から大中臣氏より養子を入れ大中臣氏(の香取家)となった。さらに、明治維新時の社家廃止令を乗り切れず、香取神宮宮司の世襲は終わった。