亀戸天神社
亀戸天神社は、東京都江東区の、JR総武線・東武亀戸線の亀戸駅より北西へ徒歩15分の地に位置する鎮守社。
戦前の社格は東京府(東京都)の府社。また明治初期に短期間制定された准勅祭社に指定された12社の1つ(うち都区部にある10社は現在東京十社を名乗っている)。また、「東国天満宮の宗社」だと称している。
江戸前期の正保3年(1646年)、既存の北野神社の石祠に、菅原道真像を納めて祀ったのが当社の創祀で、寛文2年(1662年)に現在地へと遷座して亀戸天神社となった。なお、旧地には元宮の石祠が残る(後述)。
当社は江戸時代から藤の名所で、4月頃に見頃となる。
表参道には、太宰府天満宮に倣って、心字池に3つの橋が架けられている。人の一生に見立てたもので、3つの橋を渡ることで心が清められ、社殿に至るといい、男橋は過去を表徴するとする。
男橋女橋に至る途中に平橋がある。平橋は現在を表す。
女橋は未来を表す。
RC造の社殿は拝殿・幣殿・本殿を連結した権現造で、拝殿・幣殿は昭和36年の、本殿は昭和54年の竣工。
「おいぬさま」には塩が奉納されている。なお、都内には塩を奉納する地蔵などが約10寺院にある。
神庫は、境内で唯一、第二次大戦の戦禍を免れた建物。
この本社神輿は4年ごとの中祭で渡御する。
境内社
御嶽(みたけ)神社は道真の学問・祈祷の師である延暦寺第13代座主・法性坊尊意僧正を祀る。
寛文9年(1669年)に太宰府御嶽山より勧請され、古くは亀戸妙義社とも呼ばれた。
社殿は昭和51年建立。
花園社は、道真の妻である宣来子(のぶきこ)の方を主祭神とし、相殿に子の14柱を祀る。
亀戸天神社創建と同時に筑紫より勧請。
社殿は昭和47年建立。
紅梅殿は飛梅の実生を祀る。飛梅は、道真が太宰府へ流された際、道真を慕って京都から飛来したと伝える太宰府天満宮の神木で、当社は亀戸天神社創建時に勧請された。
社殿は昭和63年建立。
弁天社は、寛文5年に太宰府天満宮境内の志賀社を勧請。境内の心字池を上野不忍池になぞらえ、当社も弁天堂と呼ぶようになった。
社殿は平成13年建立。
元宮・元天神塚
亀戸天神は、古来あった北野神社の石祠に正保3年(1646年)、道真像を納め祀ったのが創祀で、寛文2年(1662年)に現在地へと遷座し亀戸天神社となったが、旧鎮座地である元天神塚も存続した。
元天神は昭和3年に亀戸香取神社に合祀されたがそれでも残り、昭和63年には南に10m移動した。
現在も、集合住宅の一角に石祠が残る(参拝は不可だが敷地外から見ることはできる)。
主な年中行事
初詣
亀戸天神への初詣客は多く、それを狙って露店も比較的と出る。
うそ替え神事
うそ替え神事は、1月24~25日に、開運などのご利益を求めてウソ鳥の木像を買い求め、昨年に買った木像を収める行事。この行事に関する詳細は「亀戸天神社 うそ替え神事」の記事を参照。
節分祭
2月3日の節分祭においては、当社では東京の有名社寺では珍しく、日が完全に落ちてから行われ、四つ目の鬼と神官の問答後に豆まきが行われる。この行事に関する詳細は「亀戸天神社 節分祭」の記事を参照。
梅まつり
2月中旬~3月中旬頃まで、梅まつりが開催される。梅は約300本なので、梅で有名な湯島天神とほぼ同じである。この行事に関する詳細は亀戸天神社 梅まつり」の記事を参照。
神忌祭
天神(菅原道真)の命日に当たる日(旧暦2月26日)に行われる神忌祭では、氏子らが18時から松明を持って境内を巡る。
藤まつり
亀戸天神は江戸時代から藤の名所で、現在は約200株ほどあり、4~5月頃の開花時期には藤まつりが開催される。藤の花は夜間はライトアップされる。この行事に関する詳細は「亀戸天神社 藤まつり」の記事を参照。
例大祭
亀戸天神の例大祭は8月末頃。本祭は4年に一度で、その年には牛車に引かれた鳳輦が氏子域を渡御する。陰祭の年には鳳輦の渡御はないが、中間年(つまり4年に一度)の日曜日に本社神輿の渡御がある。
菊まつり
10月~11月頃には菊まつりが開かれる。ただし規模はさほど大きくはない。この行事に関する詳細は「亀戸天神社 菊まつり」の記事を参照。