大宮八幡宮
大宮八幡宮は、東京都杉並区の、京王井の頭線の西永福駅より徒歩7分、または永福町駅より徒歩10分の地に位置する鎮守社。
戦前は東京府(東京都)の府社に列し、戦後は神社本庁の別表神社となっている。
康平6年(1063年)、源頼義が、奥州での前九年の役を制したのち、京都・石清水八幡宮を勧請して創建。なお、白鳳4年(675年)に天武天皇の勅で創建された、との由緒もあるが、恐らく明治期に作られたもので、神社側でも現在は採用していない。
江戸期は大宮八幡宮のほか、和田八幡宮、和田大宮八幡宮、中野八幡宮などとも呼ばれたが、明治期に(大宮)八幡神社となり、昭和27年に大宮八幡宮に復称。
公式HPでは大宮氷川神社・秩父神社と並ぶ武蔵三大宮一つで「多摩の大宮」あるいは「武蔵国八幡一之宮」と称されたとしている(ただし「武蔵国八幡一之宮」の称に関しては、社誌などでは確認できず、出典は不明)。
広い境内に、豪壮な木造社殿が立つ。
参道や社殿を囲む社叢は東京都指定天然記念物。
黒門は江戸期の建立。現在は第一鳥居が立つ位置にあった惣門を、昭和21年に現在地へ移築したもの。
神泉亭は黒門の奥にある茶室で、大正5年に社務所として竣功。
古くはこの位置に(南面した)社殿があり、現在の南参道が表参道であった。
通仙庵は、多摩清水社の脇にある茶室。
多摩清水乃社(たましみずのやしろ)は水神を祀る。その脇では御神水を汲むことができる。
神門と手水舎は、戦後の昭和41年建立。神門は、建て替え前は中門と称した。
社殿は昭和40年に建立。本殿・祝詞殿・内拝殿・外拝殿を連結した権現造で、拝殿は錣屋根となっている。
なお、現在の社殿に建て替える前の、江戸時代に建造された旧社殿が解体保存されている模様(後述)。
神楽殿は昭和17年修復。
赤門(北神門)は江戸中期以前の建立。中門(神門の旧称)であったが昭和40年に移築。
弓道場の振武殿は、昭和17年に額殿として建立されたもの。
境内の一角にある神輿庫には、神輿32基が一列に安置してあり、ガラス越しに拝見することができる。
神輿庫に並ぶ神輿のうち、和田睦会の大神輿と子供神輿は八棟造。上の写真の和田睦会大神輿は大正末期製作。
和田睦会の八棟造の子供神輿は大正11年頃製作。
古くはこちらが表参道であった。
年中行事
蟇目の儀・大的式
1月2日には、古式の弓術儀礼として、小笠原流による蟇目の儀・大的式が奉納される。この行事に関する詳細は「大宮八幡宮 蟇目の儀・大的式」の記事を参照。
わかば祭り(春の大祭)
わかば祭り(春の大祭)では、古武道演武、稚児行列、植木市、盆栽展示、太鼓・エイサー踊りの奉納などがある。この行事に関する詳細は「大宮八幡宮 わかば祭り」の記事を参照。
杉並大宮菊花展
11月には菊花展が開かれる。
杉並花笠祭り
杉並花笠祭りでは山形の花笠踊りのパレードなどが行われる。この行事に関する詳細は「大宮八幡宮 杉並花笠祭り」の記事を参照。
当社の江戸時代の別当寺は明治維新で廃寺となったが、それ以前の中世の別当寺は中野区の宝仙寺であった。
大宮の杜緑地
大宮の杜緑地は、大宮八幡宮に隣接した民家跡に、平成28年に開園した区立の庭園風公園。
(エリアガイドには不掲載。)
この敷地が民家だった当時、横の道から塀越しに、社殿があるのが覗えた(現在は解体済み)。この建物は、『杉並の神社』の大宮八幡宮の項の境内図に「聖徳山太子殿」と見えるほかは一切が不明だったが、『杉並郷土史会会報 251号』にその来歴が著してあるのを発見した。それによると、大宮八幡宮の旧社殿を昭和37年に移したもので、江戸時代の建造(1697年頃に遡る可能性も)だといい、(明記はないものの)現在は解体保存中だと読み取れる。