寛永寺周辺の子院
台東区の上野にある寛永寺は天台宗(山門派)の大本山であり、江戸時代は実質的な総本山であった。
明治以降、寺勢は大いに衰えたが、周囲には子院が残っている。
そのうち、いくつかを取り上げる。
護国院
護国院(護國院)は、寛永2年(1625年)の寛永寺創建と同時に、その最初の子院として、現・国立博物館の裏辺りに創建。
慶安4年(1651年)に北寄りに移転し、宝永6年(1709年)に現在地へと移転。
本堂は1722年に釈迦堂として建立され、昭和2年に上野高校開学で境内が縮小された際、現在地に移築され本堂となった。
本尊は釈迦如来。
庫裏は国登録有形文化財で、一階部分は昭和2年竣工。
円珠院
円珠院(圓珠院)は承応元年(1652年)、現・国立博物館の裏辺りに創建され、延宝8年(1680年)に現在地へと移転。
江戸時代に建造された山門からは、美しい庭が望める。
本尊は薬師如来。
見明院
見明院は寛永21年(1645年)創建。
明治以降、明治5年、同23年、大正3年、昭和23年と移転を繰り返した。
本堂は、昭和28年に広尾にあった島津家上屋敷より移築。
本尊は千手観音。
林光院
林光院は寛永年間(1624-45年)初期に、JR鴬谷駅上の台地に林広院として創建。。慶安4年(1651年)に西北に移り、宝永2年(1705年)には林光院に改称。
明治以降は、明治35年、大正4年、昭和25年と移転を繰り返した。
本尊は阿弥陀如来。
表門は、江戸期に徳島藩主蜂須賀家中屋敷の御庭仕切門であったのを、昭和30年に移築。
本覚院
本覚院(本覺院)は、江戸城内紅葉山の山王社が寛永14年(1637年)に寛永寺に移された際、その別当寺として創建。現在も境内には山王権現の小祠がある。
また、当社は忍岡稲荷の別当寺でもあった。現在、上野公園内の忍岡稲荷の跡地には花園稲荷神社が鎮座するが、『下谷と上野』や『天台宗東京教区寺院誌』では、これを忍岡稲荷の後身とは認めておらず、忍岡稲荷は維新で廃絶したとする。昭和3年に再興された忍岡稲荷の小祠が境内にある。
なお、境内の山王社は、『天台宗東京教区寺院誌』によると、江戸城内の鎮守として城内に祭られていた紅葉山山王社に代えて、東照宮をもって江戸城の鎮守とするという三代将軍徳川家光の命で寛永14年(1637年)に寛永寺境内に遷され、その別当として本覚院が創建されたとするが、『下谷と上野』によるとこれは誤りで、江戸城内の山王社とは今の赤坂日枝神社のことであり、上野の山王社は寛永14年に寛永寺の鎮守として創建され、その際に江戸城紅葉山の東照宮の旧社殿を移築して利用したとする。
(エリアガイドには不掲載。)
本尊は釈迦如来。