谷中霊園
谷中霊園は、東京都台東区の、谷中の寺町に隣接する大規模な墓地。江戸時代は主に天王寺の境内であったが維新後に接収され、明治7年に谷中墓地となった。その名残で谷中霊園内には天王寺の墓地や、戦争を生き延びたもののその後に心中事件で焼失した五重塔跡がある。五重塔跡は現在は普通の小公園だが、東京都の史跡に指定されている。
寛永寺墓地
都立谷中霊園内に、孤島のように位置する寛永寺墓地には、最後の将軍徳川慶喜(1867-1868年)の墓(東京都指定史跡)や、徳川御三卿(一橋・田安・清水徳川家。徳川御三家とは別物)の墓所、福山藩主阿部家墓所がある。
近年までは将軍家の妻子の大規模な墓所もあったが、墓地として売り出すために整理され消滅した。
徳川慶喜の墓は、神式の葺石型墳墓。
近年まであった、徳川将軍家の妻子の大規模な墓所。墓地として売り出すために整理され消滅した。
(墓所を整備するために金網で囲ったと勘違いして、整備が終わってから写真に収めよう思い、まじめに写真を撮っていなかった・・・。)
その他の墓
明治維新以後の旧福山藩主阿部家の墓所は少し離れている。この辺は、天王寺の墓地も入り組んでいる。
維新後の旧高徳藩主戸田家の墓所は神式。
那須家は江戸初期は烏山藩(栃木県那須烏山市の一帯)の藩主だったが、改易されて旗本の交代寄合となった。
手前の黒い墓石も、奥の明るい色の墓石も、津山藩主松平家の墓。
旧大名家の墓所としては他に、旧美濃岩村藩主松平家、旧姫路藩主酒井家、旧林藩主秋月家などがあるが、規模は大きくない。
澁澤栄一墓所は、以前あった玉垣や灯籠が撤去され、木々も伐採され、開放的になっていた。
入澤達吉墓は伊藤忠太設計で昭和14年建立。入澤達吉は大正天皇の侍医頭で、旧近衛文麿別邸として有名な荻外荘も、当初は入澤達吉邸として伊東忠太の設計で建てられた。
他にも個性的な墓も多い。
花屋
霊園の入口には和風家屋の花屋が並ぶ一角がある。
花見
谷中霊園は、ちょっとした花見の名所でもある。