谷保天満宮
谷保天満宮は、東京都国立市の、JR南武線の谷保駅より南西へ徒歩3分に位置する鎮守社。戦前の社格は東京府(東京都)の府社であった。
平安時代、菅原道真失脚後、その三男の道武は当地に配流された。延喜3年(903年)に道真薨去を知った道武が父の像を刻み天神島(現・府中市日新町)に祀ったのが当社の創祀で、現在地へは養和元年(1181)遷座。
東日本最古の天満宮を名乗り、また湯島天神・亀戸天神と共に関東三天神だと称している。
17世紀中まで甲州街道は境内の南側(段丘の下側)を通っていたが、現在は北側を通るため、表参道はこちらとなった。なお、社殿を取り巻く社叢は東京都指定天然記念物となっている。
拝殿は幕末の1851年築。国立市指定有形文化財。
本殿は江戸中期の1749年築。国立市指定有形文化財。
神楽殿は明治35年築。国立市登録有形文化財。
末社厳島神社の本殿は1759年頃の築で、国立市登録有形文化財。覆屋内に収められている。
梅林(香雪園)には約300本の梅が植えられ、梅まつりも開催される。
当社の創建伝承と異なる伝承を伝える神社
成子天神社
新宿区に鎮座する成子天神社の創建伝承は、『東京府豊多摩郡神社誌』には「主君菅原道真が太宰府に流された後に東国に赴いたその家臣3人のうち、津野某は谷保に留まり(後に谷保天満宮を創建)、残り2人は現・新宿区で日々道真の平安を祈っていたが、道真が逝去した折に一旦上京して道真像を持ち帰り、延喜年間(901~923年)に道真を祀る祠を設けた」という趣旨の文が記載されいている。また創建年代は『東京都神社名鑑』などは具体的に延喜3年(903年)の創建とする。
このようにこの縁起では、道真の三男ではなく道真の家臣が谷保天満宮を創建したことになっている。
下平間天満天神社
谷保天満宮の伝承では、谷保天満宮を現在地へと遷したのは道真三男の道武の子孫である津戸三郎為守である。しかし『神奈川県神社誌』に記載されている川崎市下平間の天満天神社の伝承では、為守は道武が刻んだ道真像(谷保天満宮の神体)を奉じて川崎市の平間郷に至り、当社を立てたとする(谷保天満宮を当社の起源だとする)。
全国の天満宮の総本社は福岡県の太宰府天満宮と京都の北野天満宮だが、太宰府天満宮は延喜5年に道真の廟を建立(安楽寺)し更に延喜19年(919年)に天満宮を創建したもので、北野天満宮の方は天暦元年(947年)創建である。本来ならば総本社より同時期あるいは前に創祀されることはほとんどありえないことである。ただし天満宮は全国に膨大な数があるので、中には谷保天満宮のように太宰府天満宮と同時期の延喜年間に道真を祀った、という縁起を持つ社もあり、当方が把握しているだけでも全国に約30社ある。甚だしい所になると、まだ道真が生きているうちから生祠(存命の人間を祀る祠)を作って祀ったという縁起を作っている神社もある。
谷保天満宮の例大祭は9月の下旬に催され、古式獅子舞や万灯行列が奉納される。また5年ごとに式年大祭が催され、鳳輦の巡行や町神輿の連合渡御などが行われる。
また特殊神事(神社固有の祭礼)としては、11月3日の庭燎祭がある。
武蔵野~立川の中央線沿線のエリアガイド
南西に進めば国立市古民家がある。