泉岳寺
泉岳寺は、東京都港区の、都営浅草線・京急電鉄の泉岳寺駅より西へ徒歩2分の地に位置する、曹洞宗の名刹。
江戸初期の慶長17年(1612年)、徳川家康が今川義元の菩提を弔うため創建。
江戸時代は、関東の曹洞宗寺院を統括する関東触頭の大中寺(栃木県栃木市)、総寧寺(千葉県市川市)、龍穏寺(埼玉県越生町)の下、江戸触頭の三寺の一つ(他の2寺は青松寺と総泉寺)として江戸の曹洞宗寺院を差配した。
泉岳寺は浅野長矩と赤穂浪士の墓(国指定史跡)がある事で知られ、4月初旬と12月14日には義士祭が開催される。また吉良上野介の首級を洗った水を汲んだ首洗い井戸や、赤穂浪士ゆかりの品を展示する赤穂義士記念館などもある。
中門は港区登録有形文化財。江戸後期の1836年建立。
泉岳寺の表参道にはかつては総門、中門、山門の3門があったが、一番前の総門は失われ、現在はこの中門が最初の門である。
山門は港区登録有形文化財。江戸後期の1832年に建造された二重門。
大石内蔵助の銅像は大正10年除幕。
本堂は第二次世界大戦の空襲で焼失し、戦後に再建。
和洋折衷の講堂は、大正14年(1925年)に再建された旧義士館。
赤穂義士墓所の門は、浅野家の鉄砲州上屋敷の裏門を、明治時代に移築したもので、港区登録有形文化財。浅野家は赤穂事件で改易となる前は赤穂藩(現在の兵庫県赤穂市など)の藩主家であった。
赤穂義士墓およびその主君浅野長矩(浅野内匠頭)墓は国指定史跡。
義士祭
忠臣蔵のモデルとなった浅野長矩と赤穂浪士の墓があるため、毎年4月1~7日と12月14日には、義士祭として赤穂義士の法要が営まれる。冬の義士祭では露店が比較的多く出店し、義士行列も行われる。この行事に関する詳細は「泉岳寺 義士祭」の記事を参照。