永林寺
永林寺は、東京都八王子市の、京王相模原線の堀之内駅より北東へ徒歩26分の地に位置する、曹洞宗の寺院。山号は金峰山。
室町時代の天文元年(1532年)、由木城主・大石定久が滝山城へ移るに際し、由木城跡に永麟寺として創建。安土桃山時代の天正18年(1590年)、家康の来訪に際して「麟」を「林」と改めて永林寺とした。
由木城跡に造営された境内には、徳川家康に許可された赤門や、後陽成天皇に許可された勅使門、三重塔や豊川稲荷などの諸堂が並び、寺格に相応しい境内となっている。
総門は江戸中期の1758年建立。徳川家康に寺の格式を認められ赤門の建立を許された。
三門は江戸前期の1669年建立。
中雀門(勅使門)は平成24年建立。勅使門としては1587年に後陽成天皇の勅願寺となった際に初めて建立を許され、その後何度か再建された。
なお、東京の寺院で勅使門があるのは他に港区善福寺と八王子市広園寺がある。
本堂(法堂)は江戸中期の1669年建立で、1856年に向拝が付加された。
本尊は釈迦如来。
脇門は、昭和42年に中雀門として移築した横浜東漸寺の旧山門を、平成24年の中雀門新築に際して脇門として再移築した。
豊川稲荷殿は昭和12年建立。豊川稲荷は愛知県豊川市の豊川稲荷妙厳寺から昭和2年勧請された。
豊川稲荷奥之院は、石段を登った正面にある、石壁に埋め込まれた祠で、その中には鳥居とともに男根と女陰を象った置物がある。
三重塔は昭和55年建立。広島・向上寺三重塔(国宝)を模したもの。
本堂裏には庭園と書院が見える。
岩船地蔵は1719年建立。台座が舟型となっている。
由木城跡
永林寺は由木城(柚木城)の跡地に建てられた。現在、墓地背後の山の中腹にスペースが確保されており、そこに城址碑と大石定久像が立っている。
大石定久(1491-1549年)は由木城の城主であったが、父・定重とともに滝山城を築城してそちらに移り、由木城は寺地として提供した。
大石氏は関東管領上杉氏の累代の重臣であったが、定久の晩年に上杉氏は後北条氏に敗北し、以来、大石氏は後北条氏に鞍替えした。
なお、墓地には大石定久の墓もある。
当寺の近くには玉泉寺などがある。