法性寺
法性寺(ほっしょうじ)は、神奈川県逗子市の、JR横須賀線の逗子駅より北西へ徒歩24分の地に位置する、日蓮宗の寺院。
山号は猿畠山。
文応元年(1260年)、松葉ヶ谷草庵の日蓮が襲撃された松葉ヶ谷法難の際、日蓮は山王権現の神使である白猿3匹に導かれて山中の岩窟に隠れて難を逃れた。元応2年(1320年)、日蓮の高弟・日朗が当地に葬られ、元亨元年(1321年)、その弟子の朗慶が当寺を開創した。
異伝に、日蓮が鎌倉に初めて来た時にこの岩窟に居したが、誰も食事を供さなかった。しかし猿の群が来て食物を献じたため、日蓮は山王権現の利生なりと法性寺を創建した。また創建のは弘安9年(1286年、日蓮没後)とも言う。
日朗は比企谷妙本寺及び池上本門寺を開いた僧であるため、法性寺はこの両寺の奥ノ院とされる。
なお、京都にも猿畠山法性寺という同一山号・寺号の日蓮宗寺院があり、貞和元年(1345年)に逗子の法性寺が本圀寺とともに京都に移転したものと伝える。
山門は麓にある。
中腹にある客殿庫裏は大正11年竣工。
祖師堂など主要な堂宇はここから更に山上にある。
祖師堂は昭和2年建立。
宗祖日蓮を祀る。
日蓮が松葉ヶ谷法難の際に隠れたと伝える岩窟。
なお、鎌倉安国論寺にも、同法難時に日蓮が避難したと伝える南面窟があり、安国論寺では南面窟で一夜を明かした後、尾根伝いに法性寺に避難したとする。
石造五重塔の脇の石祠が山王権現祠(山王社)。
祖師堂のあるエリアから更に登ると墓地があり、やぐらが点在する。
墓地から更に登ると、名越切通へと至る。
逗子駅付近には他に岩殿寺などがある。