目黒不動尊(瀧泉寺)
目黒不動尊は、東京都目黒区の、東急目黒線不動前駅より徒歩10分の地にある、天台宗の名刹。平安時代の大同3年(808年)、慈覚大師円仁が霊夢に現れた神人の像を刻み安置。円仁は後にこの神人が不動明王だと知り当寺を創建した(異伝は後述)。
当寺は江戸五色不動のうちで最も有名な寺であり、また関東最古不動霊場かつ日本三大不動の一つだと称している(ただし日本三大・三体不動の一つと称する寺院は全国に少なくとも25寺ある)。
仁王門は戦後の鉄筋コンクリート製。
女坂の途中にある小堂には、役の行者倚像(目黒区指定有形文化財、1796年)が安置してある。
この若干変わった青銅製灯篭は火消しが明治24年に奉納したもので、火消しの纏(まとい)が刻まれている。
大本堂は戦後の鉄筋コンクリート建築で、懸造となっている。本尊は円仁自刻の不動明王で、12年に一度の酉年に開帳される。
平成29年には大本堂前に山王鳥居が建立された。
大本堂の背後には銅製の胎蔵界大日如来坐像(1683年造立で目黒区指定有形文化財)がある。大日如来は不動明王の本地仏である。この像の四方には四天王像が配されている。
八大童子の像が築山上に配されている。八大童子は不動明王の眷属。
阿弥陀堂の周囲には観音堂や地蔵堂などもある。
円仁が寺地を定めんと投げた独鈷が落下し、そこから湧き出した霊泉。奥にあるのは青竜大権現を祀る垢離堂。
前不動堂は東京都指定有形文化財。江戸中期の築。
勢至堂は目黒区指定有形文化財。江戸中期の築。
弁天池には、三福神(弁財天)と豊川稲荷の祠が鎮座する。
少し離れた墓地にある青木昆陽の墓 [地図] は国指定史跡。
青木昆陽(1698-1769年)こと甘藷先生は、江戸時代に救荒作物として甘藷(サツマイモ)の普及を図った人物。
なお、目黒不動の境内には、一般的な唐獅子の狛犬も何組あるのだが、それ以外にも文字通り「犬」の狛犬も何組か存在する。
目黒不動尊瀧泉寺の創建伝承の異伝
前述したように、現在の瀧泉寺の縁起は、円仁が当地で夢に見た神人の像を刻み、後にこの神人を不動明王と知り、瀧泉寺を創建したというものである。しかし、『目黒町誌』(大正13年刊行)では、これとは異なる創建伝承についても触れられている。
それによると、瀧泉寺は往古は日本武尊を祀る「荒人神」と称した神社であったが、後に円仁が民の要望に応じて不動明王像を神体として刻み収めたというもので、神社であったので鳥居があり、文化年間(1804-1818年)の少し前までは祭礼も行われていたというものである(なお、鳥居は平成29年に再建された)。
また、当寺の本尊が円仁の刻んだ不動明王とされていることについても、異伝として、品川常行寺護摩堂の本尊を移したものとの説や、円仁が刻んだ日本武尊の像を不動明王の像だと誤伝したとの説も、本書では紹介されている。
また『新編武蔵風土記稿』には、現・世田谷区の等々力不動尊の本尊が目黒村へ貸し出されたまま返ってこず、それが後に目黒不動尊になったという伝承も紹介されている。
甘藷まつり
目黒不動尊の墓地には青木昆陽が眠る。青木昆陽の命日は10月12日であるため、同月の不動尊の縁日である10月28日には甘藷まつり(昆陽遺徳法要)が催される。
不動尊の縁日である28日には毎月露店が出るが、10月にはサツマイモ関連の露店も出る。
青木昆陽の墓前での法要。
江戸五色不動
五行思想の五色(白・黒・赤・青・黄)に基づく不動尊。目黒が飛び抜けて有名。
目黒不動尊−瀧泉寺(目黒区下目黒)
五色不動の随一。本堂に不動明王像が安置されているのもここだけ。
目白不動尊−金乗院(豊島区高田)
写真右端の小堂が不動堂。『豊島の寺院』では、「江戸三不動の第一。東都五色不動の随一」だとしている。
目赤不動尊−南谷寺(文京区本駒込)
写真右端の小堂が不動堂。
目青不動尊−教学院(世田谷区太子堂)
写真は境内にある不動堂。
目黄不動尊−永久寺(台東区三ノ輪)
目黄不動とされる寺は2寺ある。永久寺の不動堂は写真左端。
目黄不動尊−最勝寺(江戸川区平井)
もう1つの目黄不動の寺。最勝寺の不動堂は写真右端。