小野神社
小野神社は、東京都多摩市の、京王線の聖蹟桜ヶ丘駅より西へ徒歩7分の地にある鎮守社。
さいたま市の大宮氷川神社(や氷川女体神社)と共に、武蔵国の一宮とされる(武蔵国は現在の東京都、埼玉県、神奈川県東部)。
第3代安寧天皇の治世18年(BC531年)に、武蔵国開拓の祖神である天下春命を祀って創建されたと伝える。往古は百草山にあった松連寺(現・京王百草園)が別当であったと伝えられていることから、かつてはより松連寺に近い、多摩の横山の中腹に鎮座していたとも言われる。また、府中市にも小野神社があるが、片方からもう片方へと遷座または勧請されたとする伝承が双方向にある。
拝殿は昭和2年築。
本殿も昭和2年築。
武蔵国一宮について
現在、武蔵国の一宮とされるのは、通常は小野神社とさいたま市の大宮氷川神社である。
南北朝期の『神道集』は小野神社が一宮で大宮氷川神社は三宮とし、室町後期の『大日本国一宮記』では大宮氷川神社が一宮とする。
現在では、当初は小野神社が一宮で、後に大宮氷川神社が一宮となったとする考えが多いようだ。
『中世諸国一宮制の基礎的研究』によると、大宮氷川神社はその社伝において崇神天皇または聖武天皇の代に一宮となったとするものの、実際は戦国時代から一宮を名乗り始めたとの見解を示している。
また江戸時代の『新編武蔵風土記稿』や『武蔵名勝図会』では、かつて武蔵国が三分(无邪志国・胸刺国・知々夫国)されていた当時は小野神社・大宮氷川神社・秩父神社が各々の一宮だったが、大宝期に三国が合併して武蔵一国となった際に小野神社が一宮になったとする(うち无邪志国と胸刺国は実際は同一の国だったとする説もある)。
延喜式記載の式内社小野神社は多摩市の小野神社も府中市の小野神社とも論社ではあるものの、武蔵国一宮としては多摩市の方だけが名が挙がるが、『府中の風土誌』では府中の方が式内社すなわち武蔵国一宮だと推定している。また『続 府中の風土誌』は、出典は不明だが、武蔵国の一宮(朝廷の神社行政)と武蔵六所宮の一宮(国司の神社行政)とは元来別で国一宮の方が上位だと記す(なお、本書においても、府中市の小野神社にも武蔵国一宮説があるかのように記してある)。
また『武蔵名勝図会』に引用されている大国魂神社の社記では「多摩市の小野神社が府中市に遷座し、更に大国魂神社に遷座合祀され東殿に祀られた」旨が述べられており(東殿には一宮小野明神が祀られている)、この伝承に拠るならば考え方次第では府中市の方が国一宮と言われてもおかしくはない。
なお、さいたま市の氷川女体神社も武蔵国一宮とされることがある。江戸期に書かれた縁起などでは、白鳳4年(7世紀後半)に勅命で武蔵国一宮になったとする。
小野神社の例大祭は9月中旬に催され、毎年、当社に所蔵されている宮神輿が渡御する。