増上寺
増上寺は、東京都港区の、都営大江戸線・銀座線大門駅または都営三田線芝公園駅・御成門駅より徒歩5分の地に位置する、浄土宗七大本山の一つ。
室町時代の明徳4年(1393年)に創建され、江戸時代は徳川将軍家の菩提寺であり、歴代将軍は当寺か上野寛永寺か日光のいずれかに埋葬された。江戸時代、京都・知恩院が浄土宗の総本山であったのに対し、宗務を取り仕切る総録所は江戸の増上寺に置かれた。また浄土宗の教育機関がおかれた十八檀林の一つでもあった。
増上寺は第二次大戦前までは壮大な伽藍を誇り、特に徳川将軍家の霊廟は日光に比肩する壮麗な堂宇が並んだが、戦災でその多くが失われた。しかし国の重要文化財に指定された三解脱門、旧有章院霊廟二天門、旧台徳院霊廟惣門をはじめ、幾つかの建物も残っている。
大門(正式には総門)は昭和12年建立でRC造。港区指定有形文化財。
なお、その脇にある公衆便所は昭和7年竣工。
三門(三解脱門)は江戸初期の1622年建立。左右に繋塀と山廊が付属している。国指定重要文化財。
黒門(旧方丈門)は港区指定有形文化財。慶安年間(1648-1651年)建立。
水盤舎(旧徳川綱重霊廟水屋)は港区登録有形文化財。18世紀前期の建立。甲府藩主徳川綱重は3代将軍家光の子で、本人は将軍になり損ねたが長男は後に6代将軍家宣となった。
鐘楼は戦後の再建で、規模は大きい。大梵鐘は1673年に鋳造されたもので、江戸三大名鐘の一つだと称している。
戦後に再建された大殿は、二階が本堂で室町期の阿弥陀如来像を安置し、地下一階は宝物展示室となっている。
なお、第二次大戦で焼失した本堂は明治時代に再建されたもの(明治時代に二度焼失した)で、江戸時代の本堂より小規模であった。
安国殿は秘仏黒本尊(阿弥陀如来)を祀る。平成23年建立。
土木建築殉職者慰霊堂は昭和12年建立。
経蔵は土蔵造で、江戸後期の1802年に大修復されたもの。東京都指定有形文化財。
火事の多かった江戸では耐火建築である土蔵造の堂宇が多く作られ、現在も比較的残っている。
経蔵内に安置されている八角輪蔵は、4月の御忌大会や11月頃の東京文化財ウィークなどで公開。
熊野神社は増上寺の鎮守で、江戸初期の元和10年(1624年)勧請。熊野は「くまの」ではなく「ゆや」と読む。一般的な神明造の本殿に下屋を付してある。
円光大師堂表門(旧広書院表門)は港区指定有形文化財。18世紀前期の建立。
「景光殿表門」の名で文化財指定されているが、景光殿は円光大師堂に建て替えられ現存しない。
円光大師堂は平成21年建立。京都の総本山知恩院から分与された円光大師(宗祖法然)の遺灰を安置。
茶室貞恭庵は和宮の使用した茶室と伝える。
大納骨堂(舎利殿)は昭和8年に建立された石造宝塔。
徳川家墓所
徳川将軍家の壮麗な霊廟は戦災焼失し、焼け残った宝塔がこの一角に集められ改葬された。増上寺に埋葬されているのは6名の将軍(2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂)、5代将軍兄弟の綱重、将軍正室5名(2代秀忠夫人崇源院、6代家宣夫人天英院、11代家斉夫人広大院、13代家定夫人天親院、14代家茂夫人静寛院)のほか、将軍側室5名、子女ら、計38人。
現在墓所は有料公開されている。また、宝物展示室には焼失前の台徳院殿霊廟のミニチュア模型が展示されている(撮影禁止)。
鋳抜門は港区登録有形文化財。文昭院(第6代将軍徳川家宣)霊廟奥院中門として1713年建立。
境内隣接地にある徳川家霊廟門
戦前、増上寺の境内にあった徳川家霊廟域は、実際には明治維新後に徳川家の私有となっていたため、戦災焼失したのちに西武鉄道に買収されてプリンスホテルとなった。現在増上寺両脇にあるプリンスホテルの敷地は、戦前まで徳川将軍家の壮麗な霊廟のあった地であり、その外周に今も3門が残る。終戦直後の混乱期において、西武鉄道の堤康次郎がいかに旧皇族・華族の土地を取得していったのかは猪瀬直樹の『ミカドの肖像』に詳しい。なお、残った門は現在でも徳川家の所有。
旧台徳院霊廟惣門は1632年建立。国指定重要文化財。増上寺の南方にある。台徳院は第2代将軍徳川秀忠の院号。
旧有章院霊廟二天門は1716年建立。国指定重要文化財。増上寺の北方にある。有章院は第7代将軍徳川家継の院号。
この門は増上寺の北側の裏門として建てられたが、将軍が良く利用したので御成門と呼ばれるようになった。御成門交差点より現在位置へ明治25年に移築。旧有章院霊廟二天門の北方にある。
なお、日比谷公園には御成門脇にあった増上寺の石橋が移築されている。
増上寺の主な年中行事
一般参拝者にとっての主な年中行事としては、除夜の鐘及び初詣、2月の節分追儺式の豆まき、4月の御忌大会のお練行列、7月末~8月初めの地蔵尊盆踊り、などがある。
除夜の鐘及び初詣
増上寺は都内でも比較的メジャーな初詣スポットの一つで、露店も出る。また大晦日23時よりお焚き上げ(当寺では浄焚会と呼ぶ)も行われる。特に増上寺は東京タワーとの夜景も楽しめる。
なお、元旦午前0時よりの除夜の鐘は、冥加料を納めると突くことが可能(事前予約制)。
節分会
2月3日の増上寺の節分会は都内でもメジャーな所の一つで、有名人も豆まきに参加する。この行事に関する詳細は「増上寺 節分会」の記事を参照。
御忌大会
御忌大会は宗祖法然の忌日法要で、増上寺では毎年4月2~7日に催される。メインイベントである練行列では、僧俗200~300名が伝統衣装で大門(都営地下鉄大門駅前の門)から大殿(本堂)へと進む。舞楽や双盤念仏なども奉じられる。この行事に関する詳細は「増上寺 御忌大会」の記事を参照。
千躰子育地蔵尊大法要
4月中旬に催される千躰子育地蔵尊大法要では、僧侶や稚児、熊野神社の神輿などの行列が大門から境内まで練り行列する。この行事に関する詳細は「増上寺 千躰子育地蔵尊大法要」の記事を参照。
地蔵尊盆踊り
地蔵尊盆踊りは、7月末~8月初め頃の夕刻に増上寺の境内で開催される。
浄土宗と大本山増上寺
増上寺は現在は浄土宗の七大本山の一つである。この場合の「浄土宗」というのは教団名(固有名詞)であって、普通名詞「浄土宗」には他の浄土宗諸派も含まれる。法灯から言えば増上寺は浄土宗の鎮西派の大本山である(ただし浄土宗諸派の中で鎮西派の規模は圧倒的に大きい)。
また、宗教法人浄土宗(つまり浄土宗鎮西派)には大本山が増上寺含め7ヶ寺あり、更にその上に京都の知恩院が総本山として位置する形となっている。江戸時代には、門跡寺院である京都・知恩院が浄土宗の総本山であったのに対し、宗務を取り仕切る総録所は江戸の増上寺に置かれた。
増上寺から外部へ移築された建造物
狭山不動尊
埼玉県所沢市の狭山不動尊には、戦後、台徳院霊廟の勅額門・丁子門・御成門の3門が移築され、国指定重要文化財となっている。また桂昌院の銅製宝塔、霊廟の銅灯籠・石灯籠多数も移されている。
建長寺
鎌倉市の建長寺には、1647年に崇源院の霊廟が建て替えられた際にその旧殿の一部が移築されている。国指定重要文化財の仏殿と唐門、神奈川県指定有形文化財の西来庵唐門がそれである。
浄心寺
江東区亀戸の浄心寺の赤門は、増上寺裏門を第二次大戦後に移築したもの。
(エリアガイドには不掲載。)
長命寺
東京都清瀬市の長命寺の本堂前には、増上寺の徳川将軍家霊廟から戦後に移された石造宝塔が2基安置されている。