靖国神社
靖国神社(靖國神社)は、東京都千代田区の、東京メトロ東西線・半蔵門線・都営新宿線の九段下駅より徒歩3分の地に位置する大社。
維新前後から太平洋戦争までの戦死者ら約247万柱を祀る、全国の招魂社・護国神社の事実上の総本社(地方の護国神社はその地域ゆかりの戦死者等を祀るのに対し、靖国神社は日本全体の戦死者等を祀る)。勅祭社であり、戦前は別格官幣社に列した(ただし戦後は神社本庁の包括下に入らなかったので、その別表神社ではない)。
東京では明治神宮に次ぐ規模の神社。
当社は幕末期における京都で維新殉難者を密かに祀った祠(境内に元宮として移築現存)や、長州藩の招魂場(山口県に護国神社などに改称して多数現存)などを直接の源流とする。東京では明治元年に江戸城で招魂祭が行われ、同年には初の官祭招魂社(現・京都霊山護国神社)が創建され、翌年には東京招魂社(現・靖国神社)が創建された。通常の神社は内務省が管轄したのに対し、当社は内務省・陸軍・海軍が管轄した(主務は陸軍が担当)。
高灯籠(旧招魂社灯台)は明治4年建造の洋風灯籠。これだけは第一鳥居の道路反対側の北の丸公園田安門付近の旧牛ヶ淵附属地にある。当時はこの灯籠は海から見えたという。大正14年に靖国通りの反対側に移設。
靖国神社の境内は当初は洋風だったが、その当時の遺構。ただし、第一鳥居の前にある大型の石灯篭も同時期(明治13年)建立であるが、こちらは普通に和風である。
第一鳥居は高さ25m。戦前の鳥居は戦時中に供出され、現在のものは昭和49年再建で、耐候性高張力鋼板製。俗に靖国鳥居と呼ばれる神明鳥居系の鳥居の代表例。
外苑のうち表参道の北側(右側)は「慰霊の庭」として整備されている。
大村益次郎銅像は明治26年建立の日本初の洋式銅像(つまり、伝統的な仏像などとは製造法が異なる)。大村益次郎(1824-1869年)は長州藩出身で、陸軍の創設者。
大村益次郎銅像南側にある石鳥居の両脇の狛犬は伊東忠太設計。
2基の大灯籠は、高さ12.4mで日本一だと称している。昭和10年建立で設計は伊東忠太。
大灯籠の一方には陸軍の、もう一方には海軍の戦闘場面のレリーフが、各々8枚嵌めこまれている。
第二鳥居は、大阪砲兵工廠で明治20年に鋳造された青銅鳥居。青銅の鳥居としては日本一の大きさだと称している。
手水舎は昭和15年竣功。かなり大型の手水舎。
神門は昭和9年竣功。伊東忠太設計。
神門の脇に明治12年建立の風変わりな青銅灯籠が2基ある。これらが建てられた時期は境内は洋風であった。
能楽堂は、明治13年に港区の芝公園に建造された旧芝能楽堂を移築したもの。
拝殿は明治34年竣功。両脇からは廻廊が延びる。
本殿は明治5年建立。その周囲には中庭が広がる。
霊璽簿奉安殿は本殿の背後にあり、文字通り祭神の霊璽簿(名簿)を奉安する。昭和47年建造のRC造建築。霊璽簿奉安殿の背後には門がある。
元宮は、京都で幕末の1863年に維新殉難者を密かに祀った祠を、昭和6年に移築したもの。靖国神社の源流の一つ。現在は非公開。
鎮霊社は昭和40年創建。不特定多数(神道では異例)の2座を祀る。1座は1853年以降の殉職者または自決者で靖国に合祀されなかった霊、もう1座は同年以降の諸外国の戦没者。現在は非公開。
到着殿は昭和7年竣功。旧記念館。
遊就館は昭和6年竣功で伊東忠太設計。戦争関連の史料を展示する博物館として建てられた。新築されたエントランス部以外、館内は撮影禁止。
靖国会館は、国防館(遊就館の付属施設)として昭和9年に竣功。現在は休憩所などに使用されている。
神池庭園は明治初期の庭園。周囲には行雲亭、靖泉亭、洗心亭という茶室がある。
茶室の行雲亭は昭和8年竣功。靖国刀(軍刀の一種)を鍛錬する日本刀鍛錬会鍛錬場であった。
靖泉亭は昭和30年代に建造された茶室。
洗心亭も昭和30年代に建造された茶室。
招魂斎庭は、新規に祭神を合祀する時に招魂する祭壇。現在は役目を終えたとして、敷地の大部分は駐車場になった。
この砲身は幕末の1854年に鋳造され、品川台場に配備されたもの。屋外展示されている砲身は他に2基ある。境内にはほかにも様々な奉納物や屋外展示物がある。
主な行事
初詣
靖国神社の初詣客数は25万人以上とされる。
毎年、神門には大凧と大羽子板、拝殿脇には大絵馬が掲げられ、弓始めの小笠原流三々九手挟式や各種芸能・演武の奉納、御神酒や甘酒のふるまいなどがある。詳細は靖国神社の初詣を参照。
さくらまつり
靖国神社から隣の千鳥ケ淵一帯は、都内では上野公園と並ぶ桜の名所。戦前は桜は美しく潔く散る様から軍人精神と結び付けられ、「同期の桜」のような軍歌にも歌われたため、靖国神社との縁は深い。現代においても、気象庁が東京での桜の開花日を判断する標準木が境内にある。
桜の開花時期にはさくらまつりが開かれ、多数の露店も出店する。この行事に関する詳細は千代田のさくらまつりの記事を参照。
奉納大相撲
春季例大祭の奉納行事として4月上旬に大相撲の横綱以下が相撲場で相撲を奉納。朝の9時の土俵祭から始まり、15時まで取組が続く。本場所では見られない初切り・相撲甚句・櫓太鼓打ち分けなども行われる。
この行事に関する詳細は「靖国神社 奉納大相撲」の記事を参照。
春季例大祭
例大祭は靖国神社で最も重要な行事で、春秋2回行われる。春季例大祭は4月21~23日の開催で、22日には勅使の参向がある。期間中、さまざまな演芸・演武の奉納や生花の献花、サクラソウの展示などがある。
この行事に関する詳細は「靖国神社 春季例大祭」の記事を参照。
花菖蒲展・あさがお展
春秋の例大祭のサクラソウと菊のほかにも、6月中旬には花菖蒲(約200鉢)が、7月末~8月初旬にはあさがお展(約500鉢)が催される。
みたままつり
7月13~16日。日本古来の祖先祭祀から発展した盆行事を元に戦後に始められた、東京を代表する夏祭りの一つ。夕刻を中心とした祭礼で、3万以上の提灯が灯され、盆踊りはねぶた、阿波踊り、神輿振りほか各種芸能が奉納される。
この行事に関する詳細は「靖国神社 みたままつり」の記事を参照。
終戦記念日
8月15日の終戦記念日においては、神社側の公式行事としては放鳩式があるくらいだが、炎天下、参拝者の長い行列が出来る。また神社周辺で右派左派の政治活動が繰り広げられる。
なお、日本がポツダム宣言を受諾したのは8月14日で、8月15日は玉音放送により国民に敗戦が知らされた日である。また降伏文書に調印・発効したのは9月2日であり、欧米などの諸国はこの日を終戦の日とする場合が多い。
草鹿式
秋季例大祭の奉納行事としてスポーツの日に催される小笠原流草鹿式では、武家装束で鹿型の的を射る。
この行事に関する詳細は「靖国神社 草鹿式」の記事を参照。
秋季例大祭
例大祭は靖国神社で最も重要な行事で、春秋2回行われる。秋季例大祭は10月17~19日で、18日には勅使の参向がある。期間中、さまざまな演芸・演武の奉納や生花の献花、菊花展などがある。
この行事に関する詳細は「靖国神社 秋季例大祭」の記事を参照。
七五三の儀
11月には、小笠原流の七五三の儀が能楽堂で奉納される。この行事に関する詳細は「靖国神社 七五三の儀」の記事を参照。
銀杏並木ライトアップ
参道沿い銀杏並木が色づく、11月末~12月初旬頃、夜にライトアップされる。