寄木神社
寄木神社は、東京都品川区の、京急本線の新馬場駅より東へ徒歩6分の地にある神社。旧東海道品川宿にある神社の一つ。
景行天皇の代、日本武尊が東征中(日本書紀の記述を換算すると西暦110年頃)、走水の海(現在の横須賀)を渡る際に海が荒れたため、妻の弟橘姫が人身御供として入水して海神をなだめ、対岸の木更津にたどり着く事が出来た。その後、乗船の木片が漂着したのでそれを祀って創建したと伝える。また異説として、弟橘姫の衣が漂着したのでそれを祀ったとも伝える(なお、弟橘姫の遺骸や遺品が漂着したという伝承を有する神社は関東を中心に少なくとも約20社あり、東京では他に墨田区の吾嬬神社がそうである)。
江戸時代、猟師町が現在の南品川3丁目より洲崎に移転した際に、現在地に遷座した。幕末に社殿が焼失したので、現在の社殿は明治初期に再建されたもので、伊豆長八の鏝絵(漆喰彫刻)が残されている。
拝殿は明治5~6年頃の建造。珍しいムクリ破風が付されている。ムクリ破風は東京では他に中野区の松が丘北野神社や港区の旧台徳院霊廟惣門にも見られるが、全国的にはかなり珍しいと思われる。なお、拝殿の軒下の下屋は、昭和初期の写真には写っていないので比較的新しいと思われる。
寄木神社の本殿そのものは土蔵造なのだが、その外周は石積みとなっており、石蔵風。明治5~6年頃建造。
本殿は土蔵造で、その内扉には明治元年頃に作成された伊豆長八の鏝絵(漆喰彫刻)が残されている。通常は非公開だが、11月などに公開される。天孫降臨の場面を表したもので、天鈿女命と猿田彦命、瓊瓊杵尊(持ち物と容姿より天照大神説もある)が描かれている。
伊豆長八は、幕末から明治期にかけて活躍した鏝絵の名手。江戸・東京を中心拠点としたため、関東大震災および第二次世界大戦の戦禍で作品の多くは失われた。東京では他に、寄木神社近くの善福寺と、足立区の橋戸稲荷神社で見ることができる。
上述のように、寄木神社の鏝絵は通常は公開されていないが、品川歴史館には複製が展示されている。
土蔵造の本殿内には、木造の内陣がある。
旧東海道品川宿には他に、善福寺、法禅寺、品川神社、東海寺、清光院、荏原神社、海徳寺、願行寺、本光寺、常行寺、長徳寺、天妙国寺、品川寺、海雲寺などがある。